第十章
暴かれた秘密
「明日、そっちに行くよ」
との、木暮からの連絡を受けた並木も、木暮と同じように一正と竹見、内田の接点が必ずあると考えていた。
先週に、玲奈と一正のおぞましい関係を木暮に暗示してからの捜査状況も、野上を通して詳しく知らされていたからだった。
並木は志帆と言葉を交わしていた。
「そういえば…野上さんは、玲奈の埋められていた周りには、美土里は近づいた形跡がないと言っていたね…ということは、荷物の中のものを取りに戻ったのだろうか?」
「ねえ、あなた。私は少しおかしいな…。と感じることがあるの」
「どんなことだい?」
「美土里という人が玲奈さんになりすましたのは事実でしょうが、それが、お金のためだけとは少し違うのじゃないのかしら? だって、脅迫していた上杉という人は逮捕されているし、竹見という人も玲奈さんを殺した後すぐに姿を消している訳でしょ? だからなにも恐れる必要はないわ。それに、玲奈さんの埋められていた付近には一面に花が咲いていたんでしょ? 他人に成りすますような人が、そんな花など植えるのかしら。野菊やなんかだったら他の場所から種が飛んできたとも考えられるんだけど、芝桜の花だったんでしょ…」
「…」
「だから、玲奈さんのためにそこに植えたような気がしてならないの…」
「…たしかに…、他は荒れ放題だったらしいが…」
「玲奈さんに成り代わって美土里さんが渡米したのは四月でしょ? その季節といえば芝桜が綺麗な時期よ。芝桜は多年草だから、毎年放っておいても増えていくわ。私…警察が調べ始めたことを知った美土里さんは、しばらく日本に戻れないことを知って、お姉さんに…と、そんな気がしてならないの」
「美土里が君が考えるような女だとしたら…仁多に舞い戻ったのは、それなりの意味があるね…」
「私、思うんだけど…あの家にはもっと何かが隠されているんじゃないかしら。又はそれを見つけるために戻ったように思うの」
「運び込まれた荷物だね?」
「ええ…たぶん」
志帆は、女の立場から何かを感じ取ったのかも知れない。
なぜか並木は、昨年の夏の夜に感じたことをふと思いだすと共に、それに志帆の言葉をだぶらせた。それは、蛍が舞飛ぶ板尾第五遺跡に佇んだ一人の人間の姿と、やがては朽ち果てるであろう広大な屋敷の裏庭に埋めた肉親の遺体の上に、芝桜の種を蒔く美土里の姿であった。
翌朝、木暮と工藤は松江駅に降り立った。大田署の野上と待ち合わせて宍道湖対岸の向居宅に行くためだ。
駅構内のカフェで簡単な朝食を済ませた頃、野上が現れた。
しかし、野上の表情が普段とは違ってひどく興奮しているように見えた。
そして、開口一番に言った。
「警部! 新事実です!」
野上は、新たに捜査本部が置かれた横田署で驚くべき事実を知ったのである。
「と、言いますと?」
「日記ですよ! 美土里の日記が見つかりました。昨日、出雲市駅の高架下の無料駐車場で品川ナンバーの車両が発見されました。井辻美土里が借りていたレンタカーです!」
「ええ、ええ。それで!」
「その運転席の下から一冊の日記が見つかったんです! 驚いたことにその中に三人の名があるのです! これです」、野上は数枚のコピーらしき用紙を胸ポケットから取りだした。
「三人? まさか向居…?」、木暮は構内での立ち話だと気がつくと、慌てて出入り口に二人を促した。
そして、野上の車に乗ると再び訊いた。
「向居と内田それに竹見ですか!」
その名前に後部座席の工藤も身を乗り出すようにしている。
「そうです! まったくたまげましたよ。これがそのコピーです。三人の名が書かれてある箇所と、事件に関係があると思われる箇所の抜粋です。ご覧下さい!」
木暮は渡されたコピーを受け取り目を通し始めた。
『これは悪夢か…、』で始まるそのページの日付は十二月十日となっており、最初に内田の名が黒く囲われていた。
『これは悪夢か…、よりによってあの男とこのような形で巡り会うとは。ミロの経営者・内田恒太が七年前に私を犯した男だったとは…。再びどん底に落ちていく。向居が、竹見が憎い』
『あのビデオが残っていた。誰が見ても私だと分かってしまう。取り返さなければ、取り戻さなければ! 内田は、お金を要求している。私にはそのようなお金などありはしない。払わなければあの姿を大学に送りつけられてしまう。どうすればいいの…。眠れない。すべては、あの三人のために、あの三人は悪魔だ。向居一正、竹見貢、内田恒太が憎い。私をむちゃくちゃにした男たちが憎い』
『明日、行かなければ、どうしたらいいだろう』
ページは変わったようだが、すでに日付は記入されてはいない。
『五十万を渡した。次は来月だという…』
『母の生命保険金をあんな奴らに渡さなければならない。許さない。絶対に許せない』
『明日は帰国だ。二度と戻りたくない! 日本に戻りたくない!』
『信じられない。私と瓜二つの人がいるなんて! 空港で出会った人は一体誰? 時間があればもっと話せたのに…。住所を交換して別れた』
『助手にとの打診があった。夜の電話は内田だった。今度は百万だ』
『今日、竹見貢が姿を現した。向居が“お前に会いたがっている”などと、何という人非人どもだ』
『思いがけない電話があった。アメリカで偶然出会った向居玲奈さんだった。あさって日本に帰国するから会いたいとの連絡だ』
木暮は、日記のコピーから目を離すと言った。
「この日記は、三年前ごろに書かれたもののようだ…実家に立ち寄ったのはこの日記をですか! うむ。なるほど…」
「警部! あのビデオの女は、玲奈ではなく美土里ですよ! 日記は他にまだあるに違いありません。レンタカーに積んだとき、何かの拍子にこの一冊が落ちてたのに気がつかなかったようですね!」
「しかし、あのビデオの年齢はどう見ても十七〜十八歳ころのものです。井辻美土里と三人が一体どうして知り合ったんでしょう?」、工藤が首を傾げて訊いた。
「それが、持ち去られたと思われる残りの日記に書かれているのでしょうね」と野上。
「そうか! ビデオの分析では、撮られた場所の特定は出来てはいませんが、なんでも普通の室内とは違うのではとの回答でした。それと、映像の片隅に写っていたのは半袖のシャツだと聞いています」、木暮は何事かを想像したようだ。
「ひょっとすると、美土里の実家の横田付近で撮られたと?」、野上がせき込むように訊いた。
「何とも言えませんが、当時高校生の美土里が大学生と社会人と接点を持つとしたら、旅行か又は何かのアルバイトではないでしょうか? 半袖だとしたら時期は夏でしょうし」
「なるほど、アルバイトですか…それなら県外の人間にも会う機会があるでしょうね」
野上はそう言うと携帯に手をやった。
横田署に電話を入れるのだ。
しかし、当時(九年前)の美土里の行動ーそれも夏のある日の行動を掴むことはまず無理であろう。ましてや、逃亡中の人間のである。
しかし、野上もそれで諦めるほど無能な刑事ではない。打つ手はすべて打つのが警察の仕事なのだ。
まもなく十時になろうとしていた。
「野上刑事、行きましょうか…」
三人を乗せた車は、新たな展開を見せ始めた島根の地を、向居一正と母親・さと子に会うため、湖北線を向居宅に走り始めた。
一時間後。
三人は、向居宅の駐車場に高級車があるのを確認するとゆっくりと車を降り、木暮がチャイムを押した。
重々しい玄関ドアの向こうに、向居一正の端正な顔が現れた。
その時木暮は、父親の死に続く妹の殺害という不幸な出来事以外の何かをその表情の中に見た。
「あ、これはいつぞやの警部さん…でしたね?」
「ええ…、この度はなんと申し上げていいのか…」
「妹のことでお見えですか」、言いながら木暮の肩越しにも目を向けた。
「ええ、少しお話をお聞かせ願いたいのですが」
「分かりました。お上がり下さい」
その声は、表情と同じように何事かを熟考しているような響きを、木暮に与えていた。
「単刀直入にお聞きします」、木暮はさと子にも同席を頼んで切り出した。
「亡くなった、お嬢さんは養女ですね?」
「…」、二人は無言で頷いた。
「玲奈さんが姉で、美土里さんが妹。その美土里さんが、お嬢さんを殺害して本人に成りすました。と、我々も最初は考えました。しかしですね、どうもそうではないようなんですよ」
「ええ!」、一正とさと子が顔を見合わせ、ほぼ同時に声を上げた。
「美土里さんが玲奈さんに成りすましたのは事実ですが、玲奈さんを殺害したのは別な人間の可能性が出てきたんですよ。じつは美土里さんの日記が見つかりましてね。その中にある三人の男の名が出てきましてね。その男たちが玲奈さんを、との疑惑です」
「別な人間? 誰なんですかそれは!」
「一正さん。あなたですよ。そして竹見貢と内田恒太。同じく殺されていますがね」、木暮は一正の目を見つめて言った。
「僕が! 何をおっしゃるかと思ったら。いい加減なことを言わないで下さい! なんで妹を殺さなきゃならない!」
「そうですか? いい加減かどうか、これを見て下さい」、木暮は日記のコピーをテーブルの上に置いた。
「これは美土里さんの日記のコピーですよ。この中にあなたの名前と殺害された二人の名が頻繁に出てくるのですがね」
「馬鹿な! こんな物を警察は信用するんですか! 美土里という女が僕を陥れるためにしたものでしょうよ。尤も僕は、美土里などという女など見たこともありませんがね」
一正の手と口が震えているのを木暮は見ながら続けた。
「そうでしょうか? それならなぜ一面識もないあなたの名が出てきたり、必要もないのに陥れたりするんでしょうね? 一正さん、他にも証拠がありましてね。ご存知でしょう? 九年ほど前に撮られたビデオですよ」
「ビデオ!」
「一正! 一体あなたは何を…」、さと子は三人の表情と、質問に答える一正の顔を見て顔を歪めた。
木暮は矢継ぎ早に一正に質問した。
「ご存知ないとは思えませんがね。あなたは妹の玲奈さんとそっくりの美土里さんと知り合った。知り合っただけならいいでしょうが、妙な気を起こした。それは、ある夏の日のことだったのでしょ? どこで竹見と内田に会ったのですか? 調べればすぐに分かることですよ?」
「…」
「一正さん。学生だったあなたはもちろん女性に興味を持っていた。それは分かるのですが、そのころ十七歳の玲奈さんが突然、あなたを避けるようになったと聞いています。それはなぜなんですか? そうですね。これはお母さんがよくご存知かも知れませんが…」、木暮はさと子に向き合って言った。
「…」
「お母さん! お嬢さんは殺害されたのですよ!」
「分かりました。…警部さん、僕から話しましょう…」
「妹の玲奈は…」で、始まる一正の話は、母親・さと子はもとより木暮たちにとってもやり切れないものであった。
「妹の玲奈は、玲奈は見てはいけない物を見てしまったんです。僕が大学の休みを利用して奥出雲に父と発掘に行った時のことでした。父の影響で僕も遺跡には興味を持っていましたし、医者を僕は目指していましたから。そこからは、縄文早期の人骨も多数出てきていました。場所は斐伊川上流です。発掘は三ヶ月ほどで終わりましたが、その遺跡から出た土器の整理を、ある高校生が手伝っていたんです。父は土器の整理が始まる前に病院に戻りましたから、その子のことは知りません」
「それが井辻美土里さんですね?」
「ええ…、最初見たときは驚きました。妹に瓜二つだったからです。ある晩でした。ドライブに誘ったところ美土里さんは何の警戒もなく車に乗ったんです。彼女は父のことは知っていましたし、僕が医者の卵だと知って安心していたのでしょう。若かった所為もあった。僕は彼女を無理矢理に…」
さと子はそこまで聞くと逃げるようにその場を離れた。
「それで?」
「車の中で、でした。…終わった後、彼女はしばらく放心状態でした。でも騒ぐことはなかった。いまでも彼女の気持ちが分からないのですが…。その二日後、再び彼女を誘った。土器の整理をしていた倉庫の中でした。その時、僕たちの行為を二人の人間がビデオで撮影していることなど分からなかった。竹見と内田でした」
「竹見と内田はどうしてそこに?」
「竹見は遺跡発掘の現場作業員で、内田はカメラマンの端くれです。近くの観光名所である“鬼の舌震い”の撮影に来ていたようです。ちょうど夏で、横田の居酒屋で意気投合した二人が、偶然に宿舎と宿が同じ方向にあったことから連れだって散歩がてら戻る途中に、倉庫に向かう僕と彼女を見つけたようでした。もちろん不審に思ったんでしょう。後を付けていつも持っているビデオカメラで…」
「そして脅された?」
「二人は金は一切要求しなかった。その代わりに彼女を連れ出すようにと…」
「あなたは、その要求を飲んだ?」
「しかたがなかった…事が公になるのが怖ろしかった。次の晩でした…僕は、彼女をいつものように誘って抱いた後、二人に指示されたようにトイレに行くと言って倉庫を出ました。そのすぐに二人が入って行った。彼女はまだ全裸のままだった。竹見がすぐに彼女にのしかかった。彼女は抵抗したようですが…口を塞がれた上に二人の男の力にはどうすることも出来なかった」
一正はそこまで言うと肩を落とした。
「それであなたは?」
「気がついたときは民宿の前に立っていました。そして、その夜のうちに松江に戻ったん
です。でも、それで終わった訳じゃなかった。一週間後、竹見と内田が訪ねてきた。あのビデオを持って。それが始まりでした。外出していた僕の代わりに出たのが妹だったんです。後で知ったんですが、二人は持ってきたビデオを“仁多の発掘現場のビデオです。お兄さんがよく写っていますよ。渡して下さい”と言い残して帰ったそうです。その日は家族が不在でした。たぶん妹だけがいると確認して来たはずです。妹は発掘現場に興味を持っていました。そして、そのビデオを見てしまったんです。自分と瓜二つの若い女を…」
「その日からですね? 妹さんが変わったのは」
「はい。それから僕を見る目が違ってきた。それと…たぶん二人は妹を見て驚いたでしょうが、警部さんたちもご存知のように妹はその後すぐに渡米しましたから手は出せなかったようです…」
「いつそのビデオの存在を?」
「二、三日後に僕の部屋に置いてありました。妹も相当に悩んだようで、母親を問いつめたようです。なにせ自分とそっくりですからね。ですが、ビデオそのものを見ていない母は結局隠し通したはずです。妹は死ぬまで美土里さんのことは口にしませんでしたから」
「あなたは、彼女が玲奈さんの妹だといつ知ったのですか? それとそのビデオは、どうされました?」
「すぐに処分をとは思いましたが、今も持っています…。玲奈とそっくりな美土里はもちろん、私の顔と、内田と竹見の顔が写っていますからね。お互いが他言無用との担保のような物ですから…」
「あなたはそれが暗黙の了解だと思われた?」
「ええ、それと最初に撮られたビデオはどうなったかは知りませんが…。それに二人は金は一切要求しなかった。玲奈が養女だとは最初から知っていました。もちろんそれに至る経過は知りませんが」
「なるほど、分かりました。とにかくビデオをお借りします。よろしいですね?」
一正は、黙って頷くと、その場を離れた。
「警部。顔が写っていると言いましたね?」、小声で工藤が訊いた。
「二本あったようだね。金庫の中のビデオはダビングを重ねているし、途中で終わっている。今やっと判ったんだが、美土里の表情が苦痛に歪んでいるように見えるが、レイプにしては少し妙だと感じたのは、彼女にとって慣れない行為だったからかも知れないね…。それと、向居の顔が見えないのは、撮られた位置の問題だろう。向居の持っている物にすべてが写っているはずだ。あのビデオは美土里の脅迫用のようだね」
数分後、一正は忌まわしい記憶が閉じ込められた一本のビデオを木暮に渡した。
木暮はその後、さと子の部屋に入ると、玲奈が姉で美土里が妹だったことや、総婦長から聞いた経緯が事実であることを再度確認したのである。
そして母は、息子が犯した信じがたい行動を口ごもりながら―兄は血のつながりのない妹にビデオの事実を激しくなじられたようで、その日、妹を犯したようだ―と顔を覆った。
さと子は、玲奈からすべてを聞いていたのである。
木暮は、母に頭を下げると再び一正の元に戻り、その目を見つめて言った。
「向居さん。ご足労ですが署まで同行を願います。もう少しお聞きしたいことがありますので」
県警本部で確認されたビデオの内容は、木暮の予想と一正の説明通りであった。
一正と美土里のもつれ合うそのすぐ後、目を覆いたくなるレイプの像があったのだ。
一正の事情聴取は深夜にまで及び、その日から五日間も続いたが、金庫内の黒曜石と二千万の金については一切の供述も得られなかった。
六日目に、証拠の隠滅と逃亡の恐れがないとの判断がなされ、ビデオの件での拘留も見送られた。
もちろん、結果的に美土里をあのような姿にした罪と、妹に対する卑劣な行為が許されるわけではなく、それは後日の判断を待つ事となった。
五日間の間、捜査員たちは都内はもとより仁多郡にまで裏付けに走り回った事は言うまでもない。
また、アメ横でサバイバルグッズを購入した女が椎名瑠美と判明したことは、知られざる事実の中での数少ない重要な成果であった。
「警部。向居は黒曜石にどう関係しているんでしょうね? それに、あの金庫の二千万にも覚えがないと」
「このまましばらく様子を見るしかなさそうだね。野上刑事、私は明日にも並木に会ってきます。向居と黒曜石の関係をなんとしても知らなければなりませんので」
「分かりました。私は椎名瑠美を…」
木暮と工藤の二人が研究所の並木を訪ねたのは、翌日の午前中だった。
すでに並木は、二人を今や遅しと待っていた。
並木に、事件に協力して貰いたいとの警察からの正式な要請があり、それを受けたのだった。
「わりいな! お前さんも忙しいだろうに」
開口一番に木暮は言った。工藤も深々と頭を下げている。
「税金で食べさせて貰っている僕たちが、こうしたことに協力できるのはせめてもの勤めだよ。義務くらいははたさないとね」と、並木は笑って応えた。
「電話で言ったように、学生時代の悪行が今になって祟ったようだ。三人ともな」
「そのようだね」
「美土里が持ち去った残りの日記にすべてが書かれているに違いないのだろうが、望んでも仕方がないからな」
「一正君は、黒曜石については否認しているそうだね」
「ああ、金もな。東京で向居の金の流れを調べたが、二千万もの大金の動きは見つからない。いくら俺たちと違って金持ちでも、財布から“どうぞ”ってわけにはいかない金額だ。それに、ビデオをネタに竹見と内田に脅迫されていたと考えていたが、金庫の中の物よりやばい品は本人が持っている。竹見が女性を写真で脅していたからビデオもそうだろうとの推測は無理なようだ」
「そうだね。金庫の中のビデオには一正君は写っていないんだからね。考えられるのは…美土里を脅迫するためだけのものだろうか?」
「俺もそう考えてはいるのだが、今ひとつ腑に落ちない。向居の奥さんからは月々三十万の金が玲奈のアメリカの口座に送られていた。しかし、その金じゃあ美土里も到底払えるはずがない」
「なあ、木暮。僕たちはビデオだけに拘りすぎているのじゃなかろうか…」
「ん? というと?」
「黒曜石だよ。あの黒曜石を買い戻すためと考えれば納得がいくんじゃないのか? たとえばだけどね。三人に復讐を誓った美土里が竹見を黒曜石で殺害する。それを偶然かどうかは分からないが内田が知り、その凶器の黒曜石を手に入れた。そしてその女がビデオの主だと気がついた。家内と話していたんだが、美土里は姉に単に成りすました訳ではなさそうだからね。姉も殺され、美土里自身もビデオをネタに脅かされた。たぶん、数百万は取られたはずだろうしね」
「それはそうだろうが、玲奈を殺した竹見が、美土里に殺害されたと内田が知ったら美土里への脅迫を強めるはずだろう? だから内田も美土里に殺されたと考えられないわけじゃないが…」、木暮は言いながら下唇を突き出した。
納得がいかないとの心の現れである。
「軍服の件だね」と並木。
「そういうことだ。内田を殺したのが男の恰好をした美土里としても、どうして竹見は軍服なんだ? それに三人目の向居はぴんぴんしている。やくざな二人よりもはるかにかた(始末)をつけやすかったはずだ」
「ふぅん」、珍しく並木が考え込んでいる。
「警部、れいの椎名瑠美ですが…」、聞き手に回っていた工藤が言葉を挟んだ。
「うむ。瑠美も軍服は買っているが竹見の着ていた物とは違うし、向居も数着の軍服を持っているが、それは米軍が着用している物だそうだ」
「ミニタリーグッズの店では米軍や韓国軍の本物の軍服を扱うのか?」
「ああ、ジーンズなどのように向こうで作られた本物で輸入だよ。値段も結構する。外貨獲得の意味もあるんだろうがね」
「そうするとナイフなどもか?」
「そうだが?」
「内田は国産のナイフでだったね…致命傷となった場所は後頭部の下、頸骨に刺さっていた。一方、竹見もほとんど同じ場所で黒曜石の石器…」
並木は、眉の間に皺を寄せて一言一言考えながら呟いている。
「何が言いたい?」
「同じぼんのくぼを狙ったが凶器は違う。だが、医者ならそこが完璧な急所だと知っている。最初の被害者の竹見をやったのが向居だとして、それを真似れば、誰でも犯人は同じ人間のように思う」
「しかし、お前さんも言ったように凶器が違うぞ。それにナイフを突き刺したのは方向から見て 左利きの人間だ。向居は右利きだよ?」
「まあ待てよ。最後まで聞いてくれ。僕の研究所の山路君も字は右で書くが、道具を使うときは左だ。それよりも黒曜石が問題だと思う。前にも話したように誰にでも手に入れられる物じゃない。その点、一正なら可能だと思った。父親から譲り受けたか、自分で手に入れたかとね。しかし、調べでは一正はあの仁多の一件以来、遺跡には出かけていないんだろ? とすると、父親の物かも知れないが、先生はそれらしきことは一切言われなかったがね…それにどうしても分からないのは、軍服まで着せておまけに歯を抜いて竹見と判別するのが困難にしているが、そこまで手の込んだ事をしながらどうして凶器の黒曜石をそのまま捨てたんだろう。かりに僕だったら火にくべてしまうけどね」
「発泡の事か? 知らなかっただけじゃないのか?」
「うーん。たしかに発泡のことは向居先生の著書にもなかったし、最新の研究だからね」、並木はそう言うと口をつぐんだが、やはり割り切れないなにかが残っていた。
「他にあんな凶器を使う人間がいるとは考えられないがな…」と、木暮は言ったが、その次の言葉は、木暮自身が疑問を覚える事となった。
「待てよ! 工藤君、椎名瑠美はかわった小石を持っていた、と言っていたね!」
「ええ、勾玉の飾りです。携帯電話の紐に付けていたそうです」
「勾玉? 玉造のですか? …木暮! 椎名瑠美はそんな物を?」
「そうか! 迂闊だった。単に玉造が近いからだけじゃない。彼女は、以前に一正の父親と『遺跡探歩』という番組の取材でも同行している! 電話を借りるぞ!」
木暮の顔は、先ほどの“困ったちゃん”のような表情から一変していた。
その目はまるで獲物の匂いをかぎつけた猛禽類のような鋭いものだった。
「野上刑事をお願いします」、大田署にかけたようだ。
木暮は、野上が電話口に出る時間も待ち遠しいように貧乏揺すりをして待っている。
「あ、野上刑事。詳しいことは後で話しますが、椎名瑠美が向居満医師の取材で同行した場所を教えていただければと」
「………」、野上が応える。
「ええ、そうです」
「……」
「はい。遺跡名が置戸安住B遺跡ですね? 場所が、北海道常呂郡置戸町。どうもありがとうございます。どうもおかしな事になってきましてね。では後ほど」
「置戸安住B遺跡だって!」、並木は木暮が電話を切るやいなや言った。
その声は、普段冷静な並木にしては大きな声だった。
「そうだ! お前さんが言っていた遺跡だ。発掘責任者は清和大学医学部・向居満だよ」
「そうか! 有舌尖頭器を手に入れたのは先生じゃなく、椎名瑠美のほうだ!」
「瑠美は、大病院と秤に掛けられた上に捨てられた!」
「しかし、警部…捨てられたくらいで人を殺しますかね? それも張本人でなく竹見ですよ?」
「そうじゃない! 椎名瑠美が突然テレビ局を辞めた原因だよ! その裏には向居と竹見それに内田が繋がっているに違いない!」
「工藤さん。椎名瑠美が退職金で竹見を殺した尖頭器を買い戻そうとしたのなら金庫の中の金と尖頭器との関係もつじつまが合いますよ。もちろん放火と内田殺害もですが…」
「…ええ。おっしゃる通りです…」
「瑠美は、向居が戦争ごっこが好きだと言うことも知っている。だから軍服を探した。たぶん他で竹見の着ていた軍服を手に入れたに違いない。向居を殺人犯に仕立て上げるつもりだ」
「だから上野の店でわざと目立つように携帯電話を忘れたり、あえて向居が持つ物とは違う軍服を買ったというわけですね!」
「向居は、瑠美と別れるために竹見と内田を利用したのかも知れないね」と、並木。
「竹見は暴行犯だ。そして内田はカメラマン…九年前と同じ事が起きたのかもな…」
「工藤君、野上刑事に連絡を取って向居を徹底的に洗ってくれ! とくに島根に戻った時の行動だ。並木、お前さんは、俺につき合ってくれ」
工藤、野上の両刑事は、この日から向居のここ数年間の山陰での行動を追い始め、木暮と並木は椎名瑠美が勤務したテレビ局に足を運んだ。
「手がかりが掴めればいいがな」
「なんとしてもね。僕は報道部に知り合いがいるからそこから探ろうと思う。体面を重んじる組織だから、刑事の君が出るのは最後がいいだろ?」
木暮をホールに待たし、受付で報道部の知人である次長に面会を申し込むと、その場で色好い返事があった。
並木は仕事の関係で年に数回は局を訪れているからだ。
並木は雑談の後、絶対に局の名を出さないとの約束で椎名瑠美の退職理由を訊いた。
「いやあ、並木さん…事が事ですのでね。本人の名誉に関わることですし、私どもとしましても詳しいことは…」
「ご事情はよく分かりますが、警察が介入すればもっと面倒な事になるのではと考えまして、私がお伺いするのです」
並木の言うのは尤もであると判断したのだろう。次長は硬く念を押して話し始めた。
「じつは…、たしか三年ほど前の夏でしたが、報道部の部長の元におかしなビデオが届きましてね」
「ビデオですね?」、並木は心の中で(またしても、かと…)頷き、聞き返した。
「ええ、それがとんでもない内容で…、つまり椎名瑠美が、なんですね…」
次長は口ごもって顔をゆがめた。
男どうしでも、いいずらい内容のようである。
「レイプですね?」
「え? …ええ…」
「それで?」
「あんな内容の物が出回れば、局としてもイメージダウンは免れません。会議の結果、気の毒ですが自己退職ということに…」
「三年前の夏とおっしゃいましたが、そのころ椎名さんにはどなたかとお付き合いをなさっておられたようなことは?」
「ええ、いましたが。なにぶんにも椎名君は局の顔でしたから表だっては…医者でした」
「向居一正さんですね?」
「たしかそのような名前でした。詳しいことは椎名君の親しかった社員おりますから、呼んでみますが」
「お願いします」
しばらくして入室したのは、美人だがどこか冷たく感じる若い女だった。
「あ、先ほどはどうも」、並木は女と目が合うとそう言った。
次長に面会を求めた際に受付にいた女だった。
「三峯利香子です。私にお聞きになりたいことがおありとか…」
「椎名瑠美君の事でお聞きになりたいことおありだそうだ。君は椎名君と同期だし、とくに親しかったようだったね?」
「はい。椎名さんがあんな事で辞められて残念で…」
「三峯さん。三峯さんは、向居さんの事はよくご存知でしたか?」
「いえ。椎名さんと向居さんのことは彼女から聞いてはいましたが、お会いしたことはありませんが…」
「そうですか。ところで…椎名さんと向居さんが別れられたのは、あの事件があっての事でしょうか? 何か他に理由があるとかはお聞きになっては?」
「いえ。椎名さんもなにも私には」
「そうですか…ありがとうございました」
利香子からは、二人に関する情報はそれ以上何も得られなかった。
しかし、局が体面を重視して、退職金を二千二百万を支払ったことと、退職の原因がレイプであったとの事実は、椎名瑠美にとっては重大な意味を持つものだったはずである。
「やはりレイプか!」
車に乗るやいなや木暮が訊いた。
「かわいそうに、予感が当たったよ。それに退職金が二千万以上も支払われた」
「二千万か!」、木暮は下唇を突き出した。
「レイプ犯が竹見と内田だったら、あり得るね…」
「うむ」
「しかし、なぜ瑠美を辞めさす必要があるのだろう? 金のためなら脅し続けた方が犯人に取っては都合がいいだろうに…それに…一度に二千万か?」
「そうだな…。今までの竹見のやり方だと、お前さんが言うとおりだが…」
「なあ、木暮。瑠美は、結婚と失職、そして金を奪われたわけだよ。なにかおかしいと思わないか」
「うむ…俺もとんでもない悪意が絡んでいるような気がするんだが、それが何なのか…」
「今までのところ一番特をしているのは向居だろ? 瑠美と別れて地位と名誉、そして金を得ているが、竹見・内田・玲奈は殺害されている。向居が手を下さずに自分の過去を知る人間を始末したとは考えられないか?」
「なに!」、木暮が目をむいた。
「向居の結婚話し…。大病院だ。金はあるだろ? それを竹見と内田がかぎつけて脅迫する。なにせ仁多郡の件があるからね。そのためには瑠美を利用する方法を思いついた。瑠美からすべてを奪い、竹見と内田を殺害するようにし向けるんだよ」
「なるほど…そうだとすれば瑠美が軍服を手に入れようとした訳もわかるな…」
「たぶん瑠美は、最初は何者かが自分をレイプしただけだと思っていたのが、向居の計画した仕業だと感づいたんじゃないだろうか」
「だから、向居を殺人犯に仕立て上げようとしたか!」
「最終的には向居も殺すつもりかも知れないがね」
「…」
「瑠美が黒曜石を手に入れたことが分かればすべてがはっきりするよ」
「分かった瑠美を全力で追うしかない!」
並木の想像は、一見乱暴そうにみえるが、的を射ていたのである。