第十一章
三峯利香子

並木と小暮が、局を訪ねた夜のことである。
工藤と野上は、一台の車をつけていた。
つい二十分ほど前に、向居一正は宍道湖北の自宅を後にした。なにやらあたふたと見える急ぎようだった。
「いやに急いでいますね?」と、工藤。
「今日も警部が事情を聞かれたばかりですが、ひょっとしたらそのことでしょうかね?」と、野上も首を傾げた。
時間はすでに十時を回っている。
二人がこの時間まで向居の同行を探っていたのは、ある情報を聞き込んだからだ。
それは向居家の近所に住む一人の主婦からであった。
「ええ、向居さんは実家に戻られるとよく外出されるようで、その時は朝帰りですよ。あ、刑事さん。このことは内緒にして下さいよ」
妬みもあるのだろうか、面白おかしく言ったのかも知れないが、有益な情報には違いない。
さらに主婦の言葉は、向居のこうした行動が結婚する前もその後も続いていたことを意味したからだ。
「野上刑事、女でしょうか?」
「どうでしょうね…椎名瑠美と婚約していた時もですからね。ま、直に分かるでしょうが」
ちょうど野上が意味ありげに言った時、向居のウインカーが点滅した。信号を左折だ。
「九号線方面ですね」、工藤は信号の手前の標識を見て言った。
湖北線から主要幹線道路国道九号線に向かうようである。しかし、五分も走ると再びウインカーを出した。
「工藤さん。どうも公園に入るようですね」
「この時間に待ち合わせでしょうか?」、工藤は徐行する車内から公園内の駐車場に目を向けた。
 駐車場には、五、六台の車が見える。どの車も、運動場の半分くらいの広さの駐車場にある街灯を避けるようにして止まっているのをみると、どうやらアベックのたまり場のようである。
向居の車のブレーキランプがついた。どうやら停車するようだ。
野上も慌ててブレーキを踏んだ。
「野上さん、女ですよ。やはり待ち合わせです」
工藤は備え付けの双眼鏡で向居の車に乗り込む女の姿を認めたのだ。もちろん昼まではないが、ぼんやりとした薄明かりで女とはすぐに分かった。
そして、その女が降りた車両のナンバーをすぐに控えた。
向居の車は二、三分停車していたが、再び駐車場を出て九号線方面に向かった。
野上は、およそ百メートルの間隔を置いて備考を開始した。気がつかれては元も子もないからだ。だが、すぐに二台の間に一台の車両が割り込んで順調な尾行となったのは幸いであった。
それから程なく、向居の車は脇道にそれた。
「野上さん。あそこに入るつもりですよ」と、若い工藤が頭を掻いたのは当然で、前方にけばけばしいネオンサインが見えた。モーテルである。
「待つしかないようですね」と、野上も頭を横に振った。

豪華な部屋に入ると、二人はもつれあうようにベッドに倒れ込んだ。
お互いがむしゃぶりつくように口を吸いあい、男と女が交互に衣類を脱がせていく。
二人は前技も程々に交歓の深みに沈み、何度かの絶頂が女を襲った。
しかし、二度ほど立て続けに精を注入された後も、女は満足しないかのように男の股間に顔を埋めている。
「うう…利香子」、一正は乾いた声でうずくまる女の名を呼んだ。
呼ばれた女が、一正の分身に舌を絡めながら上目遣いでみた。
表現できない快感に身をゆだねて、一正は三度目の放出を利香子の口内で終えた後、もどかしそうに言った。
「君とは離れられない。しかし、しばらく会うのは控えた方がいい」
「そうね。今日来たのは警察ではないけど、瑠美とあなたの事を知りたがっていた。でも何も掴めないわよ。だって瑠美を楽しませてくれた連中はとっくに墓の下よ」
「内田と竹見をやったのは僕たちじゃないから恐れることはないが、君とあの二人の関係が知れればまずい事になる」
「私とあなたの関係もでしょ?」、利香子は一正の胸に細い指を這わせて言った。
「そうだ。今日も僕の所に刑事が来た。昔の出来事は認めておいたし、それに僕と連中の繋がりは切れた事になっているから大丈夫だが、用心に越したことはない。それにもちろん黒曜石も僕の物じゃないがね」
「あなたは、大病院を手に入れたし、竹見と内田も始末できたわ。私は憎い瑠美を追いやる事もできた。竹見と内田はあなたの紹介だから、私と二人の関係がばれる事はないわ。寂しいけれど、あの女が警察に捕まるまではあなたと会うのは我慢するわ。だから…ね」
利香子の口と目はそういうと、自ら一正の手を秘所に導びいた。すでにしとどに濡れている。
一正は舌を絡ませながら、飽くことない邪淫の女・利香子にみたび肉の凶器をさしこみ、利香子は長い手足で一正をしっかりと捕らえていった。

二人がモテルを出たのは早朝だった。眠い目をこすりながらの尾行が始まった。
一正の運転する車は、昨夜と同じ道を引き返した。やがて車は公園の駐車場に乗り付け、女は車を乗り換えた。
「どうします?」と工藤。
「女をつけましょう。もし、あの女が三峯利香子なら、局に出社するでしょうからね」
野上が言うように、昨夜の内に女の物と思われる車両のナンバーから、所有者は三峯利香子と判明していたのだ。
一正の車をやり過ごすと、野上は女の車を追った。
小一時間後に案の定、女は守衛のいる局の駐車場に乗り入れた。
工藤と野上の連絡で、並木と木暮が顔を揃えたのは県警本部でだった。
すでに木暮の上司・神宮からの要請で一連の事件が広域犯罪に指定されていたし、仁多郡横田町は当然に島根県内の町であり、県内の全警察署が協力体制に入っていたのだ。
「なに! 三峯利香子?」、二人から報告を受けた木暮が言った。叫んだといった方が適切かも知れないほどの大きな声だった。
「野上さん! 三峯利香子は、向居とは面識がないと言っていましたよ!」、並木も同じように驚いて、木暮の顔を見た。
「こいつは、驚きだな…向居には瑠美以外の女がいたのか…」
「はい。それも相当前からの関係のようですね!」
「なあ、並木。利香子と瑠美はいちばん仲が良かったとのことだが、どうもそれは表向きで本当は全く逆だったようだな」
「そのようだね。女の嫉妬も絡んでいると考えてもいいのじゃないのかな?」
「よし。向居と利香子を呼ぶか!」
木暮の言葉に、大詰めとの感触を三人が覚えたのは言うまでもなかった。

そして、この二十日後…。
椎名瑠美が北海道で自首し、向居と利香子がそれぞれの自宅で逮捕された。
並木は、その時の模様を木暮から詳しく知らされた。
向居一正と三峯利香子は、まずその関係から追求された。
そして、数年前から現在までの度重なる二人の逢瀬は、たちまち露見した。その回数は数十回にも及んでいたのだった。
利香子と一正の出会いは、瑠美に紹介されたことから始まったようであったが、すでにこの頃には、利香子は瑠美に対して言いしれぬ妬みを抱いていたという。
ある晩、二人は関係を持った。
 もちろん遊びであったようだが、一正は瑠美にはない魔性を利香子に感じた。
それは濃厚な性であったことは言うまでもないし、利香子が瑠美に勝るたった一つの武器でもあった。清楚な瑠美にはない、売春婦のような性技と淫靡な肉体を持つ利香子に一正はおぼれた。
そして、そんな一正に願ってもない話しも持ち上がっていた。
勤務する松波総合病院の経営者令嬢との結婚である。一正は、椎名瑠美を捨てることを決めた。
地位と名誉は病院で、金は令嬢が、そして飽くことなくいどめる肉体は利香子に求めれば良かったのだ。
彼が、東京で二人の男たちに出会ったのはそんな頃でもあった。

「先生! 向居先生ではないですか!」との声で、向居は病院の廊下で振り返った。
向居の前には一人の男が、妙な笑い顔で立っていた。
「?」、向居は最初、この男が誰なのかが分からなかった。
が、
「久しぶりですね。仁多郡で会ってから八、九年になるんじゃないですかね?」
との言葉は、たちどころに過去の記憶を一正に思い起こさせた強烈なものだった。
男は竹見貢であった。
「あ、あんたは!」
「覚えていてくれましたか。偶然ですね。先生もよくご存知の内田が入院したもので、その見舞いに来たんですがね…驚きましたよ。おとついも見舞いに来ましたら、そこに先生の名前がかかっていましたんで。懐かしくてお会いしたかったんですよ。こんな大病院の先生とはね…」
竹見はそう言うと、にやりと笑った。先ほどの顔と同じ表情で、であった。
向居は、その場から立ち去ることが出来ないように呆然と立ちすくんでいた。
「そう、そう。看護婦さんに聞いたら、この病院の院長令嬢とご結婚なさるそうで、羨ましいですね。少しお裾分けをいただきたいようなもんですよ」
「か…か、金か!」
「先生。ここでは人目がありますよ。先生の部屋でゆっくりと話しましょうや。俺たちは先生と違って女には不自由していますんで、ちょっと世話をして貰えば昔のことはお互いになかったことにするつもりですがね」

向居一正は、椎名瑠美を竹見と内田の餌食に決めたのである。
 それには、瑠美の友人・三峯利香子を利用すれば済むことでもあったのだ。
しかし、向居が竹見と内田を信用することは当然なく、彼らの次の標的は自分だと、百も承知していた。
向居は、瑠美の出方を見定めてから、二人を始末するつもりであった。そして、竹見に会った二週間後から自己保身と欲のため、かつて愛した一人の女を破滅への道へと歩ませる画策をし始めた。もちろん三峯利香子も、向居の計画にすぐに同調した。
その相談が行われた夜、逢い引き先のモテルで、利香子は普段より以上に一正を満足させた。
魔性の女は、瑠美の破滅を想像してか、その肉体のすべてをさらけ出していたという。
三峯利香子の供述も、ほぼ一正と同じであった。

瑠美の自供は、次のようだった。
「いつ、三峯利香子と向居一正の関係に気づいたのかね?」と、木暮。
「…私は、三峯利香子の計略に乗らされました。あの日は、三年前の水郷祭の夜でした。彼女がわざとタクシーをキャンセルして内田に迎えに来させたんです。内田は彼女の恋人を装って私を安心させたんです。内田は、甲沼と名乗っていました。そして、警部さんもご存知のあのビデオのように、内田と竹見に暴行を受けました。向居に別れを告げられた次の夜に、もう一度彼に電話をしたんです。その時、向居は『利香子』とはっきり言ったんです…」
「なるほど。それで向居と利香子の関係を君は怪しんだんだね?」
「はい。その時はすぐに電話を切りました。でも局を辞めてから、内田と竹見から頻繁に脅迫がき始めました。実家にです。私の実家が北海道だと知っているのは局の人間と向居しかいません。私は、しばらく行方をくらましたふりして、向居と彼女の行動を探りました」
「それで二人の関係に気がついたんだね」
「はい。…二人は頻繁に…」、瑠美はそれ以上は言えないように言葉に詰まった。
「君とつき合う以前からだったとも分かった…」
「…」、瑠美は無言で頷き、続けた。
「二人が共謀して私を罠にかけたことをはっきり知ったのは、竹見の口からでした」
「竹見の?」
「竹見は…竹見は、車の後部座席に潜んでいて麻酔のようなもので私を眠らせ、内田と代わる代わる私を犯しました。でもあの男は、私の事が忘れられないと徐々に脅迫を止めてきたんです。一昨年の六月の事です…。私は、私は自分の躰と引き替えに真実を知りました」
「…」
「竹見を殺す前に、あの男は向居と利香子に頼まれて私を犯した事を白状していました。その代わりに五十四号線のモテルであの男に身を任せていましたが…。戻る途中で再び竹見は私を抱こうとしました。ちょうど“湖底に沈む山間の町”という取材で知っていた、神戸川流域のあの場所。私が隠した黒曜石が見つかった場所でした。覆い被さり、終わって油断していた竹見の後頭部を隠し持っていた尖頭器で刺しました…。たぶん…即死だったはずです」
「凶器の黒曜石は?」
「数年前、まだ向居を知る前でしたが、彼の父親の発掘取材で置戸安住B遺跡に行きました。私は北海道の出身です。北海道は隠岐島と同じ黒曜石の産地ですから。局で二つの生産地の企画番組があったからです。もともと私も石器には興味があって、そこで一個の石器を見つけました。先生に見せると『珍しい物だが記念だから…』、といただいた物でした。…石器で竹見を殺したのは、向居も石器の事には詳しい事からでした」
「なるほど…」
「竹見自身が仁多郡横田の発掘現場で女子高校生を犯した事も聞いて、私と同じ思いをした女の人がいる…。殺すなら遺跡に関係ある物で、との気持ちがどこかにあったのかも知れませんが…」
「君が板尾遺跡に埋めた黒曜石には、手を加えられた形跡があったが、それは?」
「私は、竹見を殺す前に黒曜石について調べました。あの石器は以前取材でお世話になった大学の電気炉で熱を加えてました。産地がどこの物かを特定出来なくするためでした。後で知ったんですが、木灰のあるおき火に投げ込めば、黒曜石と分からなくなることまでは…、でも、知っていてもそうはしなかったような気がしていますが…」
「なぜだね?」
「自分でもよくは分かりません…でも、あの神秘さを持つ石を見ていると、なぜかそう思います」
木暮はその言葉に、野上が並木から聞いた、向居満の調査記録に綴られていた四行の詩のような言葉を思い出していた。
―黒い宝石…このきらめきを持つ不思議な石は、私の心を捕らえて離さない。それはちょうど女性が目映いダイアモンドを愛するように…。
自然が作り出した永遠の輝きは、一万年を経た現在でも消えることはなく、かつての人々の生き様を私に見せてくれる―。との文章である。
遥か昔、旧石器人たちが手にした黒光りする黒曜石は、一万数千年を経た現代の人間にも一種の畏敬を覚えさすのかも知れなかった。
「そうか…で、遺体は?」
「死体を車のトランクに入れて、日御碕にある局の山荘に隠しました。山荘は五年前に閉鎖されて誰も近づくことはない事は知っていましたから…柵に囲まれて、野犬も来ない所です。かりに誰かが近づいても断崖沿いでしたし、野ざらしでも見つかる恐れはありませんでした。カギは庶務課にあった物を持ち出して合い鍵を…」
「一人で遺体をかね? 怖くはなかったのかね?」
「あるのは憎しみだけでした」
「歯は、身元が発覚するのを恐れてのことだね」
「はい。近くの石でうち砕きました。折良く軍服を着た遺体が漂着した事を新聞で見て、私もそれに習ったんです。歯がなければ身元は分からないと考えて…」
「だから軍服だったんだね? アメ横で買ったのは竹見が着ていた物とは違ったが?」
「もちろん向居が軍服を持っていることも頭にありはしましたが…軍服は韓国で購入しました」
「軍服をわざと買ったのは、警察の目を向居に向けさせるためだね? そして、その服を着せて、そこから海に投棄したんだね?」
「はい…私は…私は、あの人たちが許せなかった!」
瑠美は、慟哭と怒りが入り交じった声で叫び、机に突っ伏した。
「内田恒太はどうやって?」、木暮はそっと瑠美の肩に手をやって質問を続けた。
「…竹見の様子がおかしいと内田は感じたようです。だからあの日は、私たちを見張っていて後をつけて来たのです。あの男は、私が竹見を殺すのも山荘に隠したのも、すべてを見ていたんです。そして、何を思ったのか竹見の死体に近づき、ある物を見つけたのです。それが私が刺した黒曜石の破片でした。先の細い物で、抜き取ったときに折れたのでしょう…」
「それで、内田に二千万を?」
「内田も私の躰とお金を要求してきました。払わなければレイプされたビデオと石器を週刊誌や放送局に売るとも言いました。だから退職金のすべてを渡したんです。あの日は、もう一度私を抱けば許してやると言われてスタジオにいきました。内田も竹見と同じように私に挑みかかってきた。だから犯されるままに首にナイフを突き刺しました」
瑠美はもう泣くことはなかった。
たぶん、利香子と向居に対して恨みをはらせなかった事が心残りのように、洗いざらいぶちまけようと心に決めたのかも知れない。
「内田とは、殺すまでに何度も関係を持ちました。石器の在処を聞くためでした。でも結局、分からずじまいで、火をつけたんです」
「君の身長は? その日はズボンをはいていたんだね?」
「? ええ…普段はズボンですが…」
「放火して、逃げるのが男とばかり思っていたのが君だったとはね」
瑠美は、背が一メートル七十二センチあり、髪型もショート・カットであった。
意識がはっきりとしていなかった目撃者が、男と思ったのはやむを得なかったのである。
「捕まらなければ、君はこれからどうするつもりだったんだね?」
「向居と利香子を…向居と利香子を、あの二人と同じ目に遭わせるつもりでした! 向居は大病院を得るために私を捨てました。それだけなら許せた。でも…でも…結婚後も私を破滅させた利香子と関係を持っているんです。利香子は嫉妬から私を破滅させた! 私は、私は…たとえ死刑になってもあの世から向居と利香子を呪い殺してやる!」
瑠美の美しかった顔は憎悪に歪み、まるでこの世の物とは思えない醜さに変貌していた。
まるで、イザナギノミコトを追うイザナミノミコトのように…。
だが木暮は、狂った形相の瑠美のその目に、一筋の涙が光ったのを見たような気がした。