第八章
白い小石
「分かったぞ! 遺体は竹見貢だ!」
とのだみ声を並木が聞いたのは、謎の漂着遺体が見つかった翌年の平成十二年三月になってからのことである。
並木の住む島根県の地名は山陰でも、三月初旬ともなれば、さすがに川面の水も輝きを増してくる。
中国山地の最後の雪が、連なる山々の稜線と谷間にわずかに残ってはいるが、梅のつぼみもすっかりほころぶ昨日と今日の暖かさで直に解けるだろう。
深い雪の中に閉ざされていたふきのとうの小さな芽が芽吹くように、木暮の言葉は、閉ざされた謎が明らかになろうとする前兆だったかも知れない。
木暮と工藤は、漂着遺体の小指の骨折から、被害者を割り出したのである。
その苦労は並大抵ではなかったと、容易に察せられた。
もちろん、竹見では? との推測の元で割り出されたのであり、そうでなければその遺体も身元不明で処理されたに相違ない。
「やはり竹見貢か!」
「そうだ! 小学生の時の骨折跡だったよ。竹見の背丈とも一致したよ。遺体に歯がなかったのも、歯形から日本人と発覚することを恐れてだろうとの監察医の意見だ。なんでも、同じ東洋人でも日本人の歯は、歯の裏の形がスプーン状になっているらしい」
「だから歯がなかったのか!」
「だろうな…同一犯だとしたら相当な知識の持ち主だぞ。害者はな!」
「だろうね」、並木も同じ意見である。
「上杉博司の話じゃ、竹見とはひと月ほど会ってはいないが、それは確かなようだ。竹見が姿をくらましたのは一昨年の七月だ。七月といえば上杉の所為で墨野美津子が死ぬひと月前だ。そのころ上杉は東京からは一歩も出てはいない。それに上杉には竹見を殺害する理由が見あたらないんだよ。おまけに奴は黒曜石がどんな物かも知らなかったしな」
「遺体は白骨化をしているようだが、そんなに早くなるものなのか?」
「姿をくらましてすぐの殺害ならな。暑い時期だから二ヶ月も野外に放置すればなるようだな」
「着衣は間違いなく軍服だったんだね…」
「そうだ。科警研での確認じゃあ、他の遺体の身につけていた軍服とまったく同じだ。縫い方まで一緒だよ。襟章も同じようにな」
「本物なのか!」
「いま工藤がミニタリーグッズの店を当たっている。たぶん上野のアメ横あたりで見つけたと睨んではいるがな。害者は、漂着遺体を利用した訳だよ。縫い目まで調べるだろうと考えたのは驚くよ」
「日本海、とくに山陰は朝鮮半島とは縁が深いし、海流の流れも計算し尽くした訳か…」、並木は島崎藤村の“椰子の実”を思い浮かべていた。
「そういうことになるな。向こうで投げ込めば、しぜんと島根に流れ着く。考えたもんだ。進展があれば、俺は島根に行くからな」
十日後、工藤はある有力な情報を入手した。
それは木暮が想像したようにミニタリーグッズの店で、である。
「どんな人でしたか?」、工藤は米軍から仕入れた迷彩色の軍服を着た店員に訊いた。
「始めての人のようでした。歳は二十五、六だと思いますが…綺麗な女の人でしたよ」
「女? 男じゃないんですか!」
「ええ、ですから良く覚えているんです。やはり女性客はまだ少ないですからね」
「この人では? 背は一メートル六十ほどですが」と、工藤は写真を取りだして見せた。
井辻美土里の写真である。工藤たちは、まだ向居玲奈の写真を手に入れてはいないからだ。
「違いますね。年齢は同じくらいでしょうが、来た人は もっと背が高くて…ちょうど私くらいはありましたよ。綺麗ですしおまけにずいぶんスタイルのいい人なんでモデルさんかと思ったくらいですから」
「そうすると一メートル七十を越している位ですか?」
「ええ、もう少し高いかも知れませんが…」
工藤とほぼ同じ位の背丈の店員は頷いた。
「他になにか気が付かれたことは?」
「そうですね…ずいぶんと綺麗なしゃべり方だなとは思いましたが…」と、思い出すように告げた。
そして、その女性客が購入した物は、二着の軍服(もちろん朝鮮半島の軍隊の)と長靴であった。購入時期は平成十年八月二十日で、店員が言うには、『友人とペアーで使用する』のだと言ったという。
しかし、軍服に関してはそこで行き詰まった。
購入した軍服は、店員の着ている物と同じ迷彩色ではあったが、夏用の物だった。
被害者・竹見が着ていた物は冬用の軍服だからだ。
「ありがとうございました。他に何か思い出されたらこちらに電話でも」と、工藤は名刺を差し出して店を出ようとした時だった。
「あ、そうだ。刑事さん、電話ですよ。電話!」
木暮は腰の携帯電話に手をやった。別に忘れた訳でもなく電話は腰に付いている。
「?」と、店員を振り返った。
中年の店員は笑いをこらえて言った。
「刑事さん。あのお客さんは病院にお勤めじゃないんでしょうかね?」
「え?」
「じつは、電話で思い出したんですが、そのお客さんが携帯電話をお忘れになったんですよ。試着されたときに中に忘れられたんですが」と、客のために用意してある試着室を指さした。
「それで?」
「ええ、気が付いてすぐにお知らせしようと外を見たんですが、いらっしゃらないもので、悪いとは思ったんですが再生を押してみたんです」
「なるほど、どこにかけたか分かりますからね。当然のことをなさったまでですよ。それで?」
「はい。出たのは病院の事務所だと思います。松波総合病院ですよ」
「松波総合病院! で、なんと?」、工藤は胸ポケットから手帳を取りだした。
「若い女性が電話を忘れられたことと、ここの電話番号と住所を知らせておきましたが…、でも取りに来られたのは男の方でしたね」
「なるほど…男性ですか。それでその男性はなにか言っていませんでしたか?」
「ええ。たしか…同僚に頼まれて取りに来たと。そう話されていたように記憶していますが。もっとも電話の紐には変わった小石が付けてありましたから、すぐに分かったんでしょうが。そのことは先に伝えておきましたからね」
「変わった小石…ですか?」
「ええ、あれはなんというんでしたっけ…弥生時代などに耳に付けていたような小石ですよ」
「まがたま?」と言いながら、工藤は手帳にその形を書いて見せた。
「ええ、これですよ。そうだ勾玉でしたね。学校で習ったのに忘れていましたよ」と、無邪気そうに店員は笑って応じた。
勾玉と言えば、並木の住む島根県の玉造が最も有名である。
玉造は玉造温泉の名で全国に知られる観光地でもあるが、歴史に興味を持つ工藤はこの勾玉の産地に二度ほど足を運んでもいたのだった。
おまけに最近、並木から送られた出雲大社の記事の切り抜きに頻繁に玉造の名が出てもいたのだ。
「ところで、受け取りに来たのはどんな男性でしたか? 会えば分かりますかね?」
「ええ、なかなかの男前で私が思うには、電話を忘れた人の彼氏って感じでしたがね…私がペアーのコスチュウムを買われたと話しましたら笑っておられましたから」
まもなく工藤は店を出たが、彼の思いはすでに島根県に飛び、工藤は出さない言葉を胸の内で呟いた。
(またしても石だ! 内田恒太の殺害と竹見貢殺害も、カギはやはり島根に違いない)と…。
「並木。驚くなよ! 電話を受け取りに来たのは向居一正だ!」
五日ばかり前に電話で話したように、木暮は工藤と共に島根にやってきたのだった。
二人が並木宅を訪れたのは、夕刻だった。
突然の訪問で、生憎志帆は外出していたが、木暮はかってしったる他人の家でもあるし、工藤も並木とは親しく、なんの遠慮もない。
応接に通されると工藤はすぐに口を開いた。
「アメ横の店員に向居の面通しをして貰ったんですよ。それと、向居の行動を調べて行くうち、軍服を購入したのが向居の恋人だった椎名瑠美というこの女のようです」と、テーブルの上に一枚の写真を置き指で指し示した。
向居一正の同僚の結婚式での記念写真で、新郎新婦の後方三段目に向居と並んで一人の女が写っていた。
並木は、その女を以前どこかで見たような気がして、写真を手に取った。
そして再び驚いたように言った。一度目は向居一正の名を聞いたときであるのはいうまでもない。
「椎名瑠美? 椎名瑠美…工藤さん、この女性は!」
「おい、並木! 椎名瑠美を知っているのか?」、今度は木暮が驚く番だ。
もちろん工藤も目を丸くして並木を見た。
「知っているというより、この女性はローカルテレビ局のニュース・キャスターだったはずだ」
「はずだ? 今は辞めているのか?」
「ああ、たしか三年くらいにはなるんじゃなかろうか。一正君が結婚したのもその頃だと聞いたが…」
「この写真が取られた年は…三年前か。辞めたとするとこの後だろうな」、木暮は工藤と顔を見合わせた。
「なあ、木暮。ひょっとしたら椎名瑠美の退社になにかあるんじゃないのかな? それまでは七時台の顔だったはずだよ」
「うむ。アメ横で軍服を買ったのが瑠美。黒曜石を手に入れられるのは向居だが、その恋人同士だった二人は今は別れている…か。椎名瑠美に当たってみるか…」
「警部。二人の仲は分かるとしても、竹見貢とどうつながるんでしょうね?」
工藤の疑問も尤もである。
向居は医師で、その恋人・椎名瑠美はニュースキャスターだ。そして竹見貢は暴行犯である。
一般に考えると何の関係もないように思われるのだ。
あえて考えるならば、竹見貢が過去に行った卑劣な行為だけである。
「もし、椎名瑠美も竹見の犠牲者なら、頷けますがね…」と工藤は続けた。
「しかし、分かっている被害者は全員が都心かもしくは都下だ。椎名瑠美は島根県に住んでいる。彼女だけが別というのはどうかな。連中は被害者の行動を逐一見張っていたはずだしな」と、木暮。
二人の意見は尤ものようではあるが、並木の考えは若干違っていた。
「たとえばだ…もし向居が黒幕だとしたらどうだ?」
「なに? 向居が黒幕?」、今日始めて目にするいつもの癖を見せながら訊いた。
「葬儀で君も向居の奥さんに会っただろ」
「ああ。なんでも大病院のご令嬢だったな」
「こんなことを言ってはなんだが、尊大で…あまり、だったろ?」
「お前さんの言いたいことは、つまり瑠美と比べると見劣りすると言う意味か?」
並木は言いずらそうにしていたが、木暮ははっきりとものを言う。
実際、才色兼備の椎名瑠美と向居の妻は、財産以外は誰の目から見ても“月とすっぽん”ほどの違いがあったことは間違いがない。
もちろん人は性格がなによりも一番だとは、並木も木暮も思ってはいたのだが。
「あの奥さんのおかげで、大病院の次期院長か」と、木暮は再び下唇を突き出して並木を見た。
「警部! 向居は瑠美が邪魔に?」
「何とも言えんが、向居ほどの色男なら女は向こうから言い寄ってくるだろうな。おまけに地位も金もある男だからな」
「何かの事情。いや都合で瑠美を捨てて令嬢と結婚したとすると、瑠美の行動がなにを意味するかだね。自分を捨てた男に復讐するのなら向居をやればいい。だが、向居は生きている。その代わりに竹見と内田が死んでいる。どういうんだろうね…」
「それに、向居の妹とそっくりな女が今もって消えたままだ…」
「出雲の神様だけが知っているんでしょうかね…」と工藤。
謎が謎を呼んでいた。
胃が痛くなるとはこのことである。
すでに内田殺害事件発生から半年以上が 、そして竹見殺害からは一年半が経っていたが、いまだ核心には一向に至っていなかったのである。
そんな謎解きに行き詰まる沈痛な面もちの三人の気持ちをほぐし、さらに会話の流れを変えたのは、帰宅した並木の妻・志帆だった。
志帆は、新鮮で心の籠もった料理以外に、一つの情報をも提供したのだ。
四人で摂った食事の後のことだ。
「ねえ、あなた。この前、面白いことを宮田さんの奥さんから聞いたんだけど、お医者さんの仕事は昼も夜もないでしょ? 『主人がパソコンゲームにこっちゃっていやになるわ』って、こぼしておられたわ」
志帆のいう宮田は、並木夫婦が懇意にしている地元の開業医だ。
「ストレスがたまるだろうからね」と並木。
「いくら高給でも割にあわん仕事かもしれんな」と、木暮も相づちを打った。
木暮と並木ががやがや言っている横で、工藤が木暮の横顔をちらっと見て、隣の志帆に耳元で囁いた。
「刑事は全くあいませんがね。ここだけの話ですが」
志帆は苦笑しながら、工藤になみなみとビールをついで相手をし始めた。
「それに宮田さんの知り合いのお医者さんなどは、戦争ごっこが好きで、時たま他県にまで足を運ばれるそうですよ」
「サバイバル・ゲームですね?」
「ええ、外国の軍服まで着込んで山の中を走り回るんですって。ゴルフなどよりはよほど面白いっておっしゃるそうですよ」
「へー。本格的なんですね。でも人を助ける医者が、人殺しの真似とは、世の中いろいろあるものなんですね」
「工藤君、志帆ちゃん。なんの話? 面白そうだね」
すっかり上機嫌の木暮が二人の間に入った。並木も、笑顔だ。
「いえね、警部。さっきのストレスの話の続きで、医者の戦争ごっこの話ですよ」
「医者の戦争ごっこ?」、聞き返した木暮から笑顔が消えた。
並木の表情も全く同じである。
「?」、若干酒の回った工藤は、一瞬身を引いた。
「どうしたの? 大次郎さん…、あなた…」
不審な面もちは志帆とて同じだった。
普段、目にすることのない“お兄ちゃんの顔だったのだ。
「並木! ひょっとすると!」
「ああ、十分考えられるね…」
「?」、酒に弱い工藤は、二人の顔を交互に見つめているだけだった。
翌日、三人は宮田医師を訪ねた。
その結果、木暮と並木の予感は見事に的中したのである。
「ええ、向居医師は島根に帰られたときは、ちょくちょく広島にあるサバイバルゲームに参加されるようですよ。チーム名は…たしかエポックとかいっていましたがね」
宮田は、医師仲間の情報を話したのだった。
木暮と工藤はその足で広島に飛んだ。
捜査は急展開を見せ始めたのである。
だが、それはぬか喜びに近いものだった。いや、むしろ落胆以外の何ものでもなかった。
急遽、帰京した二人は向居一正の任意の事情聴取に取りかかったものの、向居が所持している軍服はすべて米軍使用の物であり、それ以外の軍服は見たこともないとのゲーム仲間の証言も、購入した店での証言も一致したのである。
アリバイなどはとうてい追求できるはずはなかった。竹見貢の死亡時期が断定できないからである。
むろん、椎名瑠美が購入した軍服も、あきらかに漂着遺体が身につけていた物とは異なっていた。
さらに、椎名瑠美と竹見の繋がりも明らかにすることは出来なかった。
「一体全体どうなっているんだ!」
と、唇を尖らせてぼやく木暮は、上司・神宮の前ではただただ頭を下げるしかなかったのである。
そんな木暮に神宮は、明確に応えた。
「ぐれさん。何かが隠されているはずです。僕は、ぐれさんの感と捜査を信じていますよ」と。