「黒い宝石」
第四章
現れた女
この日は、木暮と仁多郡から戻ってちょうど二週間が経った土曜日だった。
木暮からはその後、連絡はなかったが、並木は本業の研究の暇をぬっては各地の遺跡での出土品ー黒曜石製の石器ーに関する資料の収集に時間を費やしていた。
もちろん、自宅のインターネットで、である。
研究者であっても警察官ではない並木は、木暮たちのような足での聞き込みは出来ないし、それだけの機動力も持ち合わせてはいない。だが、誰にも負けないほどの知識があった。
いまも、目の前のパソコンの画面全体に数十の遺跡名が並んでいる。
並木は、その一つ一つにマウスのカーソルを指し示して、新たな画面を開いていく。そして、これはと思うものは、すぐにプリンターで印字している。
すでに手元には、五枚ほどの用紙が置かれていた。
並木は、さらに五つの遺跡名を検索した。
遺跡名:下曽我城跡 時代:旧石器(一万六千年)
出土遺物:尖頭器 ・鏃
所在地:大方町
発掘責任:大方町・大方町教育委員会
遺跡名:浮穴上黒岩岩蔭遺跡 時代:縄文草創期(一万二千年)
出土遺物:尖頭器、有舌尖頭器
所在地:愛媛県上浮穴
発掘責任:愛媛県埋没文化財事務所・上浮穴町教育委員会
遺跡名:白岩尾遺跡 時代:旧石器(一万五千年)
出土遺物:有舌尖頭器 ・鏃
所在地:富山県
発掘責任:富山県埋蔵文化財センター
遺跡名:土生遺跡 時代:旧石器(一万五年〜一万六千年)
出土遺物:尖頭器、ナイフ型石器
所在地:和歌山県吉備町
発掘責任:和歌山県埋蔵文化財調査部
遺跡名:置戸安住B群遺跡 時代:旧石器(一万三千年〜二万年)
出土遺物:有舌尖頭器・鏃
所在地:北海道常呂郡置戸町安住
発掘責任:清和大学考古学部・医学部(向居満)
以上の尖頭器、又は有舌尖頭器の出土遺跡名及び参考資料が出ていた。
パソコンの操作をする並木は、ふと笑みを浮かべた。
懐かしい名前をそこに見つけたからだ。
しかし、
「お、先生は」と言った瞬間、並木は唾を飲み込んだ。
何かが彼にそうさせた。
そして並木は、ひどく慌ててマウスを動かした。
置戸安住B群遺跡発掘の詳細なデーターを見るために、リンクを掛けたのである。新規に出た綺麗なカラー画面には、その時の出土状況や、向居の意見が付記されていた。
並木は食い入るようにその文章を何度も読み返した。
やがて自然に、
「どうしてあの時…どうしてあの時…。先生は有舌尖頭器についてなにも話されなかった。これだけの物なのに…」との、言葉が口に出た。
資料には、見つかった有舌尖頭器の保存状態が素晴らしく良くて、町指定の文化財になっている旨が記載されていた。
並木は、一年ほど前の板尾第五遺跡で有舌尖頭器を発見した時のことを思い浮かべていた。
並木はひどく疲れを感じて、眉間を指でつまんで首大きく回した。
その並木の前で、画面を印刷するプリンターだけが小さな音を立てていた。
音を聞きながら並木は、
「各地の遺跡に詳しい先生なら、有舌尖頭器を手に入れることは可能か…」とぽつりと呟いた。
この夜、窓辺のアジサイの葉に止まった、今年初めての蛍を並木は見た。
そして、あることを思った…。
(板尾第五遺跡は神戸川のほとりだ。いま時分は、川沿いに多い茂るアシやガマの茎や葉に止まっては飛び、飛んでは止まっているのでは…)と、妖しい灯を点滅させながら飛ぶ蛍が目に浮かぶような気がした。
並木は、寝床の中で、その蛍の灯に導かれるがごとく一つの影が、数万年の眠りに就いたままの遺跡の上で、佇んでいるのを想像していた。
隣では志帆の静かな寝息が聞こえている。
決して寝苦しい夜ではなかった。
しかし、なぜか木暮は目がさえて眠れなかった。
翌朝。
「七月十五日か…。梅雨もまもなくあけるな」
並木は玄関脇の郵便受けから新聞を取りだして、爽やかな空を見上げた。
朝は必ず新聞に目を通すのと、空模様を見るのが並木の習慣だ。
特に、晴天の日曜日の場合、道路工事などで出た新しい露頭(崖)の調査は、現場工事が休みだからもってこいだからだ。
新聞は、地震情報とか火山情報が最も時間を割り当てる誌面だ。
並木は、ていねいに目を通した。
お陰様でと言って良いのかどうかは分からないが、とくにはこうした記事はなかった。
次に社会・経済面から、地元記事に目を通した。
相変わらず『縄文の埋没林』と『出雲大社』の記事が目に付いた。
「工藤さんが、また喜びそうだな…」
並木は、木暮の部下・工藤栄一に記事の切り抜きを時たま送っている。
木暮から、彼がこうしたことに興味を持っていることを聞いていたからだ。
余談だが、こうしたところにも並木の優しさが現れているのかも知れない。
その部分を切り取ったあと、次の小さな記事の見出しが、
「気の毒に…」と並木に言わせた。
その言葉は、三面記事に向けられたものだったが、やがて並木の顔は驚きに変わった。
そして、「まさか先生が!」と大きく叫んだ並木の目は紙面に釘づけになっていた。
それは思っても見ない、
『邦人医師…出張先の米国で交通事故死』との見出しであり、他ならぬ“向居満死亡”の記事であった。
「どうしてこんな! まさか事故なんて…!」
向居満は、現地時間の七月十六日・午後三時過ぎに、招聘先大学の米人医師とロス・アンジェルス郊外をドライブ中に、大型タンクローリーと正面衝突して死亡した。
原因は運転していた米人医師の運転操作の過ちで、事件性は全くなかった。
しかし、並木にとっては知人の一人であり、さらに(ひょっとすると!)との、人物の突然の死だった。
急遽、向居宅に電話を入れた並木に応えたのは、家政婦だった。
向居の家族は、昨日のうちに渡米していたからだ。そして、日曜日のこの夜に、木暮と連絡が取れた。
「向居さんの遺体は、あさってに奥さんと娘さんと一緒に帰国するそうだ」
並木は、パソコンで調べて知った向居への疑惑の事柄に付け加えて、肝心なことをも小暮に伝えた。もっとも並木は向居とは個人的に懇意でも、家族とは全く面識もない。しかし、同じ研究者として並木でも、家族に面会して石器に関しての情報を得ることは可能だ。
だが、今は事情が事情である。葬儀も弔問も終わらぬ今、そのようなことを聞けるわけがなかった。
というより、むしろ並木個人の気持ちが許さないのだ。
石器に関しては、警察に任せるのが常套手段なのだ。
「判った。お前さんじゃできんだろう。俺がやってみるよ。葬儀の日程が分かったら知らせてくれ」
「ところで、井辻美土里のその後だが…、どうなんだ? 進展はあるのか?」
「それがな…美土里もそうだが、竹見貢も内田恒太殺害犯の手がかりも一切なしだ。せめて俺の前に姿を見せた井辻美土里が一体何者かさえ分かれば、それなりの手は打てるだろうがな…」
「本物の井辻美土里と偽の井辻美土里か…。偽の美土里がいるのだから本物は…か」
「たぶんな。上杉が言うように生きてはいないだろう。それにつけてだが、野上刑事がそっちで捜査に協力してくれることになった。昨日も連絡を取ったが、そのうちお前さんの所に顔を出すと言っていたぞ」
「野上さんが?」
「ああ、お前さんの顔を見たいと言っていた」
昨春まで島根県警・捜査一課にいた野上は、現在は並木の地元である大田署の刑事部にいる。並木が野上を知ったのは、二年ほど前のある事件でだった。
歳は四十三歳で、木暮や並木と同い年だ。
そのせいかどうかは知らないが、最初から並木とも妙にうまがあった。
事件は並木が最も得意とする“火山灰”に関係した犯罪であったが、並木が提示した資料と解説のおかげで、野上は見事に犯人逮捕に至ったのだった。
野上とは、大田市内で時たま顔を会わすが、
「いやあ、並木さん。あなたのおかげですよ。本当に助かりました」と、その度に感謝の言葉とそれにまけないほどの笑顔を見せる。
もっとも、並木にはうしろめたいことなどなにもありはしないが、言われるたびにくすぐったい思いで恐縮してはいたが…。
木暮は、野上のことを告げて電話を切った。
並木も、
(向居の葬儀の日か、その翌日あたりが大きな山場になるだろうな…)と、感じながら電話を置いた。
そしてもう一度、向居の死亡記事をじっと見つめて新聞をたたんだ。
三日後、向居の葬儀がしめやかに執り行われた。
松江市郊外に住む向居家の菩提寺でだ。場所は、眼病の神様で全国に知られる一畑薬師の近くにある。
あいにくの雨模様だったが、故人の人柄か、交際範囲の多さゆえか盛大な葬儀のようである。
帳場にもすでに長い列が出来ている。
並木、木暮そして野上も記帳に並んだ。
向居の妻であろう、上品な婦人が家族と共に一人一人に頭を下げている。
気丈にも、悲しみをこらえて弔問客に接するその姿は稟として見える。
「お気の毒ですね…」と、野上が小声で二人に囁いた。
だが、並木と木暮はただ頷いただけで、未亡人を見てはいなかった。
二人の目は、その隣にいる一人の若い子女に注がれていたのである。
「?」野上は二人の視線の先を首を傾げて見た。
すでに三人の前には二人の弔問客しかいない。
野上もそれ以上声を出すことをはばかった。
一時間後、末席に位置する並木と木暮、そして野上は故人に別れを告げると式場を辞した。家族を自宅で待つのだ。
その自宅に向かう車内の会話である。
「木暮警部! それではあの娘が?」
「ええ、驚きましたよ。彼女が私が会った井辻美土里ですよ。…いや、ひょっとしたらその偽物かもしれませんがね…」
「これは…何とも恥ずかしいことで…」
野上は、井辻美土里の写真を元に、県内を聞き回っていたのに見抜けなかったことを、素直に詫びた。
「いや、彼女の髪型も化粧もこの写真とはだいぶ違いますからね。それに彼女は、二日前に亡くなった父親とアメリカから戻ったばかりですしね。島根どころか日本にもいなかったんですよ。探せないのは無理もありませんよ」
木暮は、野上にも渡してある井辻美土里の写真を見ながら、運転する野上に告げた。
「私も警部から今回の事件をお聞きして、向居さんと井辻美土里の関係を調べる中で、向井さんに娘がいることは知ってはいたんですが。まさかあの娘とは…。留学でしたね?」
「ええ、高校を卒業する少し前です。今は大学院だそうですよ。なんでも法律が専門らしいそうですが」
「しかし、何のために向居さんの娘の玲奈が井辻美土里になりすます必要があるんでしょうね?」
「問題はそれなんですがね…」
木暮も今ひとつそれが分からない。
並木は二人の会話を聞きながら、同じ顔を持つ二人の関係を考えた。
誰でも思うのは双子である。
一卵性双生児なら頷けるのだ。
そして、普通ならそのシナリオは次のようになるのだろうが…。
井辻美土里(妹と仮定する)は、竹見貢に脅迫された上、殺害された。
向居玲奈(姉と仮定する)がそれに気づき、美土里の復讐のため竹見を殺害した。
さらに娘・玲奈の殺人を知った父親・向居満が証拠のビデオを探したが見つからず、竹見と共謀した内田恒太を殺害の上、火を放った。
(黒曜石で。だから黒曜石が美土里のビデオと共にあった)
以上の事件の発覚を恐れて向居玲奈が井辻美土里になりすましている。
美土里が生きていれば事件はなかったことになる。
おまけに玲奈はアメリカ留学で、ほとんど日本にはいないから怪しむ人間はいない。
しかし、この推理は崩れてしまっている。
なぜなら、美土里と玲奈が双子であるという大前提がなければ成り立たないからだ。だが、並木が知る限りでは、井辻美土里はれっきとした井辻家の実子である。
さらに、竹見と美土里の死体が発見されることをも前提とする。
美土里が井辻家の実子であることは、仁多郡を訪問した折り、近所の主婦の証言でも明かであった。
主婦の息子と美土里は幼なじみであることから見ても間違いはない。
後日談だが、ー主婦の情報を鵜呑みにするほど警察は無能ではなく、役場での戸籍謄本の確認で、美土里は井辻家の実子と記載されていた。
(一体、どうなっているのだろう?)というのが、並木の本音である。
こうした状況の中では、向井玲奈がしらを切り通したり、向居が死んだいま、板尾第五遺跡に誰が有舌尖頭器を埋めたのかの立証など出来ないのは目に見えている。
それに、小暮が上杉の自供から井辻美土里を尋ねたとき、回向者を迎えていた向居玲奈は、間違いなくアメリカに居たからだ。
そしてそれと同じように立証が困難なのは、玲奈と同じアメリカにいた向居が、内田恒太を殺害することはできないのである。
万に一つ向居が関係していたとしても、その共犯者は一体誰なのか?
並木の頭脳はめまぐるしく動いていた。
並木は二人に自分の考えを話した。
「む…」、いつもの表情で小暮が唸った。
野上は、「なるほど…」と言ったまま、それっきり口をつむいでしまっている。
だが、とにかくいまは、木暮がマンションで会った女が誰なのかを知る必要が第一なのだ。
雨も上がり、水鳥が戯れ始めた湖面ののどかさとは全く逆のような重苦しい気持ちの三人を乗せた車は、ひたすら走った。
この宍道湖岸を走る国道四三一号線は湖北線と呼ばれる。
宍道湖を挟んだ南には、国道九号線が走るが、湖の北を走る湖北線と九号線は丁度お互いが平行して走るような形だ。
およそ五十分ほどで振興住宅地が広がる田園地帯を見下ろす小高い山の中腹にある向井家に着いた。広い駐車場を持つ豪邸だった。
向井の家族が戻るには今少しの時間が必要だろう。
三人には打ち合わせが必要だった。
最初は、黒曜石に関して話しを聞く予定が、思いもしない人物の登場に事態は急展開を見せ始めたからだ。
小暮は、野上をちらっと見て言った。
「なあ、並木。ついでだからお前さんが石の話しをしてみてくれないか。俺たちは全くそっちの方は無知だ」
『ついで』とはよく言うが、考えてみれば小暮の言うとおりである。
あくまでも、並木の推理によって行動しているといっても過言ではないし、疑惑が持たれてもまさか、
「あなたは何者ですか? 双子さんですか?」、などと馬鹿げたことを聞けるわけでもないからだ。
「…うむ。判った。しかし、その後は頼んだよ!」
「おお、任せておけ。俺が井辻美土里のマンションで会った娘は、間違いなく今日会った娘に違いないはずだ。彼女が再び渡米すればしばらくは手の打ちようがない」
しかし、ことは慎重を要する。
当然のことだが、いまの三人の立場としては、あくまでも事情を聞くだけにとどめなければならない。焦りは禁物なのだ。
万が一にも無謀な追求にでもなれば、逆に訴えられても弁解のしようがないし、それこそ手の打ちようがなくなってしまうからだ。
だが、木暮の言うように、いつまた留学先に帰るのか? それだけでも知っておかねばならないのだ。
証拠もないのに人を詰問するのは難しい。ましてや葬儀が終わったばかりの悲しみに打ちひしがれた人間にである。
見るからに高級そうな外車が向居家のガレージに戻ってきたのは、およそ四時間が経過した頃だった。
降りたのは、未亡人、玲奈、そして向居家の長男の一正だ。
一正の妻の姿はなぜか見えず、すでに東京に帰ったようだった。
いま六十歳の未亡人・さと子は、夫であった満と同じ医師で、外科医の女医としてなかなかに優秀であったが、二十七年ほど前に勤務先の病院を辞して専業主婦となり現在に至っていた。
三十二歳の長男・一正も外科医で、現在は結婚して都内の総合病院の副医院長である。姿の見えない一正の妻の実家は、都内でも屈指の総合病院であると、並木も聞いていた。
悪く言えば、逆玉の輿だ。
いわば、向居家は医師家庭で、玲奈だけが異なった道を歩んでいる訳である。
「バタン」
と、ドアが閉まる音と同時に、並木たちも車から降りて三人に歩み寄った。
「この度は…」と、頭を下げる三人に気が付くと向居の家族も同じように深々と頭を下げた。
互いが喪服のままである。
未亡人は弔問客の三人をすぐに思いだしたようで、
「あなた様がたは…今日はありがとうございました」と再度頭を下げた。
並木は名刺を差し出した。
「並木さん? あなたが主人の?」
未亡人は、懐かしむように並木の顔と名刺を交互に見つめた。
「はい。先生には懇意にしていただき、なんと申し上げてよいのか…じつはこのような時に誠に申し訳ないのですが…少々お時間をいただければと…」
「主人は、あなたのことをよく話しておりました。どうぞお上がりになって…」と、さと子は、並木の連れにも促した。
一正と玲奈は、すでにその場にはいない。
応接室に通されたが、広い室内だった。そこかしこに生活の豊かさが感じられる。
並木は、しばらく向居の思いで話に終始した。
さと子は、哀しい笑顔を絶やさなかった。
彼女は木暮と野上も並木の同僚と思っていたようだったが、やがて何事かを感じたらしく訊いた。
「木暮さんと野上さんは、向居とどのような…?」
並木は、いよいよ本題を切り出さなければならなかった。
初めて並木は、木暮と野上を刑事だと、その身分を明かした。
「刑事さん? 何事でしょう…。主人のことでなにか…」、と不安なそうな声と猜疑心が籠もった顔で聞き返した。
「奥さん。先生は石器…とくに旧石器に関心が深かったはずですが、もしここにお持ちなら見せていただきたいのです。じつは…」
と、並木は東京で起きた事件で黒曜石が金庫から見つかったことと、その一部が三瓶の遺跡で偶然発見されたことを正直に告げた。
「…並木さん。あなたのおっしゃりたいのは、その石器を埋めたのは主人だと…」
(いよいよ来たな!)と、木暮も野上も感じた。
「いや、奥さん。彼が申し上げているのは、あくまでもご主人を心配してのことなんですよ。私は、並木君とは古くからの友人なんですが、『一緒に調査をしていた人のことで相談がある』と私に連絡が来ましてね。彼からご主人の人となりは聞いております。ですから、お話をお伺いしたいだけなんです」
「…」
「先生は私に、手紙を下さいました。板尾で発見した石器の分析が出来なかったことを詫びるとの内容です。このことからみても決して先生が隠されたなどと考えているわけではありません。ただ、先生が生きていらっしゃれば尖頭器についての説明をしていただけたのではと…ただそれだけなんです」
並木は、死人をむち打つようなことを言っているわけではないのだ。
「…分かりました。主人が収集した石器はこちらに…」と、さと子が三人を案内しようとした時だった。
「母さん! お帰りになっていただきましょう!」
突然、応接のドアが乱暴に開かれると同時にその言葉が発せられた。
四人の目が一斉にそこに注がれた。
息子の一正が姿を見せていた。その後ろには青白い顔の玲奈の姿もあった。
「一正! 失礼ですよ! 皆さんに」
「母さん、失礼なのはどっちですか! よりにもよって今日がどんな日かご存知ないとは言わせませんよ。どうぞみなさんお帰り下さい! はっきり申し上げておきます。父が何をしたかは知りませんが、我々には関係がないことです。玲奈! お送りしなさい!」
一正は、そう言うとドアを開け放したまま姿を消した。
三人は、突然のことに唖然としていた。まさにとりつく島がないとはこのことだった。
「並木さん…今日のところは」、さと子は頭を深く下げた。
「いや。失礼は私たちでした。今日はこれでおいとまをしますが、一つだけお教え願いませんか」
「?」
「お嬢さんは、いつアメリカにお戻りになられますか?」
「一週間後ですが、それが…?」
「いや、今日はご迷惑をおかけしたようで…」
並木はそれだけ言うと二人に目配せして応接を出た。
玄関には玲奈が、顔を伏せて待っていた。
「お嬢さん。失礼をしました。しかし、驚きましたよ。ここでお会いするとは夢にも思いませんでした」、木暮は玲奈をじっと見つめて一言そういった。
「? 何のことでしょう。お会いするのは初めてですが…」
玲奈はそう木暮に応えると、最初と同じように深く頭を下げて玄関の重厚なドアの向うに消えた。