第九章 手がかり
八王子の喫茶店からホテルに戻っていた並木が、
「ほくろの女は城山の妻だよ。詳しいことは後で話す」との、木暮からの連絡を受けたのち、再び木暮からの連絡があったのは翌日の早朝であった。
カーテン越しに入る冬の弱い朝陽が高層ビルの谷間から登ろうとしていた。
腕時計を見るとまだ七時であった。
「おい並木。あさっぱらから悪いな。しかし驚いたよ。徳津と別れた女が、あのほくろの女だったとは想像もしていなかった。名は舞子。三十八歳になる。動物病院で事務員だった頃、すでに当時結婚していた徳津と関係ができて、彼と前後してそこを辞めている。それから因島ガスに就職して山城と知り合ったらしい。夕べ山城夫婦に事情を聞いた。二人は地位と名誉を失った徳津に脅されていた」
木暮は一挙にそこまで喋った。
「そうか…。木暮の奴、眠っていないな」と、言葉にならない刑事の苦労を思いながら並木は聞き返した。
「徳津が殺された当日の彼女の行動は?」
「それが、彼女の主張通り、十六日のアリバイは二人とも成立するんだよ。徳津の死亡推定時刻に山城夫婦は高速のインターで目撃されている。徳津の死亡時刻は間違いはない。ただし、夫の山城は銀行で多額の金の融資を依頼し、自分の口座から二千万程を引き出している」
「殺害に関係した思われる人間がその場にいなかったのか」
「そうだ。たしかに金は徳津の指定した車の中に入れたらしいが、当の徳津本人の姿がなかったそうだ。姿を見られるのを避けていると考えて、二人はすぐに引き返えしたらしい。だが妙なことは、現場からはその肝心な金が見つからないんだよ」
「金がないってどういう事なんだ。殺された徳津は持っていなかったのか?」
「そういう意味だ!」
木暮は電話口で怒っているように言った。
木暮が並木に語った、 昨日の二人の事情聴取の模様は次のようなものであった。
「奥さん、我々もこのようなものを見ていただきたくはないのですが、この写真は奥さんだと思われるのですが」
小暮は、徳津宅で押収された写真を、舞子の目を直視しながら取り出した。
「これは! どうして」
舞子の声は悲鳴に近かった。
「奥さん。正直におっしゃって頂けませんか。殺された徳津さんが持っていたものです。それとこれはあなた当てと思われるんですが」
続けて見せたのは、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・『因島義則と佐々木聖子の死のからまも・
・なく十五年。警察は、時効を迎える前に・
・捜査を再開した。証拠は、私が握ってい・
・る。五千万用意して下さい。詳しいこと・
・は又連絡します』 ・
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と書かれた、パソコン内の脅迫文のコピーであった。
「奥さん。この二つのものがあなたの元に送られ、御主人が金を用意されたのではないのですか? 銀行で三千万の融資を依頼されたり、二千万円もの金を何に使われたのかおっしゃって頂けませんか。あなたは事件当時、因島ガスにお勤めでしたね。殺害された佐々木聖子も、殺害犯の伍代早苗もあなたの同僚です。そのあなたに徳津はこのような写真を送り、さらに『証拠は握っている。五千万用意してくれ』と言っています。徳津の言う“証拠”とは一体何なんですか。何故あなたの写真を徳津は持っていたのですか!」
小暮の顔は普段と変わらない柔らかなものであったが、言葉は核心を突いた有無を言わせないものであり、眼光の色も鋭いものであった。
「警部。ちょっと」
と別室で山城光則に事情を聞いていた島田が入室し、木暮の耳元でなにやら囁いた。
「奥さん。いま御主人が、“脅迫されていた”ことをお話になられました。非常に言いづらいことなんですが、このまま黙っておられますとますます不利になります。どうか、正直にお話し頂けませんか」
「…」
「奥さん!」
山城舞子は、瞬き一つしない白い顔をさらに白く青ざめさせて口を開いた。
「おっしゃるように、私は徳津と十七年程前に知合い、妊娠しました。当時すでに奥さんのいた徳津は中絶するように迫りましたが、私は悩んだ末、生みました。それが奥さんの耳にも病院にも知れることになり、結局徳津は病院を辞めざるを得なくなってしまいました。同時に院長のお嬢さんである奥さんとの離婚は、将来を約束された徳津にとっては死ぬほどにつらいものだったようです。私が徳津の前から姿を消して八王子の因島ガスに勤めた頃、彼も偶然のように八王子に来ていたのです」
「そうすると、お嬢さんは…」
「ええ。そうです…。主人はそのことは承知で結婚してくれました」
「優しい方のようですね」
小暮は山城の姿をチラット思い浮かべた。
「もちろん私も主人も、徳津が八王子に住んでいると知ったのは脅迫された最近のことですが、徳津は事件の起こった十五年前にすでに知っていたんです」
「分かりました。ところで、言いづらいでしょうがこの写真の男性は?」
「…」
「奥さん。おっしゃって下さい」
「…あの人は因島義則さん…因島ガスの社長です」
その声は消え入りそうであった。
木暮は舞子の目の前の写真を裏返すと訊ねた。
「どこであのような写真が撮られたんですか? そして誰が、何の目的で?」
「あの写真は、私が入社して初めての熱海の社員旅行から戻る途中のモテルでのことです。幼い子を抱えて、悩んでいた私に悪魔が囁きました。前夜に示し合わせていた私と社長は湯河原で待ち合わせて行動を共にしたのです。写真は因島の“趣味”でした。もちろん知り合って間もない私はそのようなことは知るはずもなく、結婚という言葉で身を任せていまいました」
「彼自身が撮った訳ですね」
「…はい。でもそれがどうして徳津の手に渡ったのでしょう?」
舞子は、恥ずかしさを伏せるような表情で、疑問を口にした。
「ところで脅迫状が来て、金を待避所の車に入れて戻られたそうですが、そのとき何か変わった様子はありませんでしたか? 例えば同じように駐車していた車があったと言うような…」
舞子は、考え込んでいたが、
「特に気が付くようなことはありませんでした。早くそこから立ち去りたいとそれだけを思っていましたので…。警部さん。殺された因島社長とあんな関係を続けた私と、現在社長となった夫が脅迫された徳津のことで疑われるのは仕方がないのかも知れませんが、脅迫文にあるようなことはいっさいありませんし、徳津を殺したりは決してしていません。徳津の言う証拠が何なのか私には見当も付きません」
彼女は頭がちぎれる程首を振って否定した。
小暮は、舞子の言葉に偽りはないだろうとその目を見て思った。
それは、彼の長年に渡って培われた刑事の感であり、第六感でもあった。
並木はその日、島根に戻って行った。
だが、木暮との会話を終える前、並木はなぜかふと思うことがあった。
「この二つの事件の裏にあるのは金や麻薬以外の秘密が隠されているのでは…」と。
確かに山城夫婦には、その過去が白日の下に晒されることを恐れるあまり、徳津の言うがままに行動したのであろう、とは想像できたのではあるが…。
事件のことも気がかりであったが、研究所に帰るそうそう並木は来年発表しなければならない論文の作成の仕事に追われていた。
目の前のパソコンに打ち込まれた膨大な資料がカーソルの動きと共にプリンターに印字されていく。
画面内で構成される文章は、全体としては把握しづらいため、必要な頁ごとに印字していく必要があったし、より読み易く、そして見やすい大きさの文字にすることも重要であった。
「そうか…ここは順序を入れ替えたほうが良さそうだな。ん、まてよ!」
手元の資料と、作成し打ち出されたものを見比べた時、並木はあることに気が付き叫んだのである。
並木は、気がせくように小暮から預かった二通の脅迫文のコピーを手元の鞄から取り出した。
一通は、八王子署の捜査員が徳津のプリンターで取り出したものである。
もう一通は徳津が山城に送り付けたもので、昨日に小暮から並木の自宅のファクスに届けられたものだ。
もちろんこれは二人だけの秘密であったが。
並木は、じっとその同じ文面の用紙を見ていたが、
「この徳津の自宅のパソコン内の脅迫文と、彼が送ったものの文字は書体が微妙に違う。同じ機種で印字すれば同じになるはずだ。どういうことだろう?」
並木は、目の前のパソコンに脅迫文を打ち込み印字し、プリントを開始した。そして部屋から出て事務室のパソコンに座わり、同じことを始めた。
事務室の機種は、普段並木の使用するパソコンではなく、その使用するソフト(日本語変換機能)も別である。
並木は再び自室に戻り、二枚の用紙に打ち出された文字を見比べた時、
「違う!」と大きく声を上げた。
「捜査一課の小暮警部をお願いします」
並木が小暮を電話口に呼び出したのはその数分後であった。