女囚の遺言 参考文献

「死体は語る」 上野正彦 著 時事通信社 刊 
「島根の自然」 島根県高等学校理科協議会 発行
「火山灰は語る」 町田洋 著 蒼樹書房 刊
「因子分析法」 安本美典 著 培風館 刊
「ジュニア朝日年鑑」   朝日新聞 刊
「日本の自然」全十巻 平凡社  刊
フィールド版 「日本の野生植物」 平凡社  刊
Field Watching 3「早春の季節を歩く」 北隆館 発行
山渓カラー名鑑 「日本の野草」 山と渓谷社 刊
「火山灰アトラスー日本列島とその周辺」 
著:町田洋・新井房夫 東京大学出版会
「第四紀試料分析法」1,試料調査法
2,研究対象別分析法 東京大学出版会
「隠岐の花」 野津 大 著 五箇村ふるさとづくり実行委員会 発行
「大山隠岐国立公園ー日本の自然 14」 毎日新聞 発行



登場人物
並木 眞吾 国立地質研究所の技師
小暮 大次郎 警視庁捜査一課・警部
 宅澤 徹人  宅澤興業社長
 玲二 子息
糸波 譲  宅澤興業専務
因島 義則 因島ガス 社長
 伍代 早苗 因島ガスの事務員
佐々木 聖子 因島ガスの事務員
村尾 伊佐子 宅澤徹人殺害犯
山城 光則 因島ガスの課長
 舞子 妻
陣野 忠   宅澤興業社員
徳津 猛  予備校講師
工藤 木暮の部下・刑事
矢島  島根県警 刑事
島田  八王子署 刑事
杉野 隠岐・浦郷署刑事




目次
プロローグ
第一章 女囚・村尾伊佐子    
第二章 謎の手帳
第三章 断崖の白骨
第四章 男の目的
第五章 偽名
第六章 新たな殺人  
第七章 ほくろの女  
第八章 一通の手紙  
第九章 手がかり  
第十章 因子分析法  
第十一章 駆引きと自白  
第十二章 時効成立三日前  
エピローグ  



       女囚の遺言
         〜隠岐島の白い花

                プロローグ


リアス式と、隆起海岸による起伏に富んだ海岸線は、日本海の荒々しい波が数万年という気の遠くなる年月に作り上げた造形美であり、その山陰海岸に隠岐航路の発着港である七類港がある。
 隠岐航路の行き先は、かつて後醍醐天皇の行在所としての地であった本土から四十〜八十キロの日本海に浮かぶ隠岐の島々だ。
 現在、隠岐島は、大山隠岐国立公園に属し、息を飲むばかりの絶壁と奇岩、そして点在する小島の至る所に激しい風と荒波が作り出した海食洞が見られる。
 その荒々しくも美しい海は、珊瑚の北限の地でもあり、対馬暖流とリマン寒流の二つの異なった海流の影響で豊富な魚類の宝庫としても知られている。
 真っ青で、雲一つない澄み渡った空に負けないほどの紺碧の海面が、小さな波をキラキラと輝かせている。
 日本海の水平線をも見渡せるほどの、高さ三百メートル以上もある摩天崖と呼ばれる切り立った断崖の上で、獲物を狙って時折りトビが上昇気流に乗って高く、あるいは低く飛ぶ様は、見る者があるならばまるで映画か絵画のように感じられる美しく、かつまた雄大なものでさえあった。
この断崖の自然裸地から、牧草地に変わる風景の中で遊ぶ牛馬は、いかにものどかな趣が感じられ、ここから島の中心部に向かってうねるように続く起伏に富んだ地形は、徐徐にコナラ群落やシイ・カシの萌芽林で構成された、手付かずの自然へと変わっていく。
柔い木々の間から差し込む木漏れ日に、早春の雑木林は明るく、落葉した木々の先端と落ち葉の敷き詰められ大地に、春の息吹が感じられた。
 この地の大地と空間にめぐり来た季節を喜ぶかのように、野ネズミたちが、落ち葉の上といわず下といわず動き回っている。
そんな春のざわめきの中の落葉樹の林で、五枚の細長い葉と小さな花弁をつけた可憐とも思える白い二株の花が、葉と花弁を朝露に濡らしてひっそりと咲いていた。
 そして、柔らかな陽光の中に咲くその花は、まるで何かを語る掛けるようでもあった。
およそ二万年の昔、島根半島の一部と言ってよいこの地が、氷河期の終わりの海進によって本土から切り放されて島々になって以来、その生態系は、本土とは異なったこの島だけに見られる動植物をはぐくんでいった。
 だが、その白い花は、今までこの地で誰も見たことのない、本土の、それもある限られた場所にしか見られない珍しいものであり、その名を“イズモコバイモ”というユリ科の植物であった。
 この隠岐島の浮かぶ、日本海に面した島根県の大山・隠岐国立公園地内の一角に、並木眞吾の勤務する施設…、中国地方唯一の国立地質研究所はある。
 研究所は、この地を代表する独立峰・三瓶山の裾野に建ち、主として地域の火山や活断層の調査・研究が最たる目的で、その普及啓発にも力を入れている研究機関であるが、周囲との調和を考えてか建物の外部構造からはそういった様子は見て取れなかった。
 研究所の周辺は、なだらかな草原で放し飼いの牛たちが草をはむ、牧歌的な風景と、それに続く手付かずのブナの原生林が絶妙な雰囲気をかもしだし、春夏秋冬を問わず、家族づれやグループで賑わう風光明媚な地であり、多くの人々に知られた出雲大社からおよそ一時間ほどの距離にある。
この研究所に勤務する並木は、出勤前の日課である愛犬の朝の散歩を終えると自宅の書斎で朝刊に目を通した。
 が、このところ、世の中の情勢を反映してか、どこを見ても納得できない記事や、彼の友人である警視庁捜査一課の警部・小暮大次郎たちを悩ませるような内容のものがやたらと目に付いて、内心頭を振る様なことばかりであった。
 しかし、記事の中に一つだけ「へえー」と、並木の目を引き付ける内容のものがあった。
それは、地元の出来事を掲載している三面記事である。
新聞記事はごく小さなものであったが、その話題となった見出しは、
「絶滅寸前のイズモコバイモが、隠岐島でひっそりと自生か? ー望まれる早急な保護対策」
とあり、地元の高校教師が、理科の野外実習時に発見したことが掲載されていた。

「並木さん、“イズモコバイモ”が、隠岐島で見つかったそうですね」
研究所に出勤した並木眞吾が、昼食時の食堂に顔を出した時、同僚の一人が、地元の記事の載った朝刊をみせて言った。
「いやあ驚きましたよ。まさか隠岐とはね」と、並木も彼に言葉を返した。
研究所のスタッフも仕事柄、並木に劣らぬ程に植物などにも知識は豊富であり、当然興味と関心を持っていたからである。
 もともと、このユリ科の植物・イズモコバイモは、島根県出雲市から二十〜三十分の距離にある立久恵峡という、両側を切り立った崖で挟み込まれるように流れる神戸川一帯の県立公園で発見され名付けられた、この地“特有の花”である。
 立久恵峡は、ゆったりと流れる清らかな水と覆い茂げる植物、そして小さな人間を圧倒するかのような断崖の続く峡谷で、九州の勝景地である耶馬渓と並び称される山陰の絶景の地である。
「あんがい、可愛いこの花が絶滅することを恐れて隠岐でも増やそうとした人がいるんじゃないんですかね。立久恵峡は植物の監視が厳しいはずですが、その目をかいくぐっての盗掘ですかね?」
 話題を持ち出した同僚が、それらしいことを口に出した。
 行き過ぎた乱開発とも言える自然環境の破壊で、多くの動植物の絶滅が日本のみならず世界の至る所で急激に進行していることは、周知の事実である。
 そのような状況下で、帰化植物ではない日本の在来種の新たな生育地が見つかるのは、好ましいことであるに違いなかった。
 当然のことながら、自然保護が叫ばれる昨今、こうした希少植物の盗掘などには全国的に特別な厳しい保護と監視の目が向けられていたが、並木も彼が言ったように、
「その目をかいくぐっての盗掘」であろうと考えたし、いくら並木が興味を持ったとしても、植物の調査研究は並木の本来の業務ではなかったため、これ以上の追求はなされなかった。
 もちろん、それ以上に現在研究中の仕事で手を離すことが出来ず、やがてその話題もいつしか話されなくなっていった。
 だが、それから一年半後、その可憐な五弁の花びらを持つ小さな花が、あってはならない無惨な事実を教えてくれることになるとは、並木を初めとして、今は誰一人、思いもしなかったのである。