第十章 因子分析法


 三日後、並木の予想通り科警研(科学警察研究所)の分析により、二つの脅迫状の文字は異なったパソコンとプリンターから作成されたものと判明したのである。
「並木。どういうことだと思う」と、小暮が電話の向こうで聞いた。
「あくまでも僕の考えだが、山城宅に脅迫文を出したり電話したのは徳津ではないんじゃないだろうか」
「なに! 違う?」
「電話の声を聞いたのは奥さんではない。徳津の声を夫の山城は知らないはずだ」
「うん。それゃそうだが…だがな、電話で呼び出されて二人は高速に乗っている」
「そして実際、徳津は殺害されている。しかし二人は殺人があった時間は別な所で見られているんだろ?」
「そこなんだよ。現時点の調べでは人を雇ってやった可能性もないが、金もない」
「なあ小暮。こうは考えられんだろうか。脅迫そのものが、山城夫婦目的ではなかった。たしかに徳津は妻・舞子を憎んでいたと思うが、美華という娘が自分の実の娘と知っていたならそんなことはしなかったように思える」
「…」
「徳津は、山城の奥さんが八王子に住んでいることを十六年前にすでに知っていた。憎みながらも気にかかって、時折り様子をみていたんじゃないだろうか」
「かりにお前さんの考えるように、徳津がまったく別の人間を脅迫の対象にしていたとすると、彼が作成した筈の脅迫文が何故、山城の所に送られたんだろうか。まさか徳津が狙う相手も、同じように山城を狙ったなどと言うつもりじゃないだろうな」
「僕が思うのは、そのまさかだよ」
「なに? どういうことだ」
「三人の人間がいるとする。かりにその人間をA(真犯人)とC(山城)として、Bを(徳津)とする。BがAを脅迫する。AはBを捜し出し殺害した。Aはその罪をCにかぶせるためにBの作成した脅迫文をCに送る。Cは過去に知られたくない事実があったために大人しくBの所に出かけた」
「山城が出かけた先には死体か! 十五年前と同じように罪を第三者に擦り付ける方法か!」
電話口の声が並木の耳に大きく響いた。
「そうだ! このAが因島と佐々木聖
子を殺害した張本人だとすれば説明が付く。Aは自分の所に送られてきた脅迫状を徳津のパソコンから見附け、それを山城に送り付けた。脅迫状の字体が違うのはAが自分のパソコンで印字したからだと思う」
「そうするとAは山城のことを知っていることになる。直接知っているか、または徳津の行動から山城の存在を嗅ぎ付けた…。そうか! 徳津は山城の娘の様子を知るために彼の自宅周辺に近づくことは当然あったに違いないからな。さらにAにとって都合がいいことに、山城の妻には人に見せられぬ写真があった」
「その相手が、殺された因島だと言うこともね。小暮、一つ調べてみてくれ。もし僕の考えが正しければ…」
そう言った並木の頭の中にはもう一つの推理が働いていたのである。
 もちろんそれは飛躍し過ぎた推理であったかも知れないが、有り得ないことでもなかった。
「どんなことだ!」
「徳津の持っていた写真だが、その中にひょっとしたら十五年前の犯人か、または犯人を特定可能なものでも写つているのではないだろうか。徳津は証拠を握っていると言っていた。もしかすると写真を示しているのではないのかな」
「それならすでに全部確認が終わっているが、写っていた男女はすべて例の二人だけだったよ」
「僕が言いたいのは、ほかに写真があったのではないかと言う意味だよ」
「なるほど、有り得るな! もし何者かがその証拠の写真を見たのなら徳津を始末する必要が出て来る。パソコン内の脅迫文と共に持ち去ったことも考えられる。だがそうだとしてもすでに写真があるわけではないしな…」
「小暮、ネガだよ。徳津はあの写真を因島の部屋で手にいれたに違いない。因島が趣味で撮った写真だが人に見せられるような代物ではないからね」
「そうか! 徳津が当時どこに住んでいたかだ。そして因島の遺品の中にネガが残されている可能性もある」
並木の予想は、じりじりと三つの殺人事件の核心に迫りつつあったと言えた。
 小暮からの連絡は、その三日後にあった。
 しかし、予想もしない局面にぶちあたったのである。
時効まであと九日を残すのみであった。
「並木、驚くなよ。お前さんの考えが当たった。因島の実家で遺品の中からネガが見つかった。だが妙なんだよ。山城の妻は分かるが、殺された佐々木聖子も写っているんだよ。もちろん因島とな! それも数十枚だ!」
木暮の手元には、あらかさまな二人の情事の現場記録がされた写真が乱雑に置かれていた。
ほとんどが豪華な作りの室内であり、ホテルやモーテルで撮られたようである。
 開口一番に写真のことを言うと、焼き増しした数枚の写真を見ながら電話口で続けた。
「徳津は、やはり十五年前の事件当時に、因島と同じマンションに住んでいたことがある。それも三軒隣りだ。事件当夜に何事かに気が付いて因島の部屋に行ったことは十分考えられる。ひょっとしたらその時、犯人を見たのかも知れない。しかし、どういうんだ。佐々木聖子は殺された人間だ。犯人ではない」
「…」
 並木も思いがけない被害者の登場に考え込んでいた。
 もちろん、因島と佐々木聖子の関係は当時の現場が証明してはいたのだが…。
「ただ、徳津の自宅からは佐々木聖子の写真は見つかってはいない」
「うん」
並木は小暮の言葉に曖昧に応えた。
彼の頭脳は猛スピードで事件の登場人物の全ての行動をあらゆる視点から検討していたのである。
黙りこくった並木に習うように、小暮も東京で下唇をとがらしていた。
もちろん両者の沈黙は、全く別の種類のものではあったのだが…。
「やはり佐々木聖子と因島はそういった関係があったのか。しかし、同じような関係にあった山城の奥さんの写真はそのまま徳津の部屋に残されていたが、佐々木聖子の写真はなかった。何故だろう…」
 並木は自分に言い聞かせるように呟いた。
「持ち去った人間が佐々木聖子の写真を見られたくなかったとの仮説は通りそうもないしな」
「二人の関係は殺害時の状況が物語っているからね…」
「だが、なかった」
「そうだね。相手の男は因島に間違いはないし、写っている部屋からも手がかりなど得られそうもないようだね」と、並木が珍しく困惑した声で言った。
他にネガがあったとは考えづらいことであり、順調な航海で突き進む船が、突然で思いもしない暗礁に乗り上げたようなものであった。
「おい! 写真は考えすぎかもしれんな…」
行き場と出口のない迷路に踏み込んだようなまごつく気持ちを払拭するように木暮が電話の先で言った。
だが、並木は島根でかぶりを振った。
「いや。必ず犯人と佐々木聖子は接点があるはずだ。もし徳津がAを脅迫して殺されたのなら、何も山城夫婦を巻添えにする必要はAにはないはずだ。徳津の自宅にあった写真はすぐ捜査員の目につく机の上にあった。その写真から山城に対して警察が関心を寄せるのは誰の目からも明らかだからね。そして犯人はあえてそうしている。警察の目を自分から山城に向けさせることになるからね。だから、わざわざ佐々木聖子の写真を選んで持ち去ったのなら、それがまったく意味のないこととは思えないのだが…」
「もっともな意見だが、それでは佐々木聖子の写真がなくなっている説明にはならん。もっと具体的にならないか…」
小暮はどちらが刑事か判らないような無茶を言い出していた。
「犯人にとって、殺害の動機はそれぞれ微妙に違うだろうが、とにかく生かしておくこと自体がまずかった。聖子が邪魔だったのはまちがいない」
「殺人のほとんどはそうだよ」
「麻薬に関係する因島。彼と関係した佐々木聖子。麻薬の売買の秘密を知った陣野。そして少なくとも最初の殺人の証拠を握っていた徳津。だが、因島と同じように関係した山城の妻・舞子は生きている」
「少なくとも犯人に取っては、山城の妻は害がなかったことにはなるな」
「利用価値は多分にあったがね。だが、佐々木聖子は犯人に取って何か不都合なことがあったはずだよ」
「その不都合から因島と抱き合せで殺害か。ありえるな…。写真の件はひとまず置いて佐々木聖子を洗い直す必要があるな!」

東京の小暮が頼みとする、並木の住む三瓶に初雪が降ったのは、その夕方であった。
 七時のニュースでは、それでも平年より十日遅い初雪と告げていた。
「チッ…。今年も残りわずかだな。時効まであと九日か」
いつもは冷静な男が珍しく舌打ちした。
 そして、呟くその目に、テレビの横のカレンダーの三十一と記された数字を囲った赤丸に、焦り苦悩する友人の顔が重なって見えていた。
 山陰に明らかな冬将軍の到来が近づいたこの日、小暮は工藤刑事を伴って佐々木聖子宅に向かう車にいた。
殺害された佐々木聖子の実家を訪ねるためである。
「警部。並木さんという人は不思議な人ですね」
「不思議?」
「ええ。我々が常道とする捜査とはまったく違った角度から物事を見ておられるような気がするんですよ。先入観や固定観念といったものでなく、あらゆる可能性を考えていらっしゃるような…」
「そうだな。我々警察は誰一人として、佐々木聖子に目を向けるなどとは考えなかった。同じ行動をしたからといっても、その目的は別なことだって大いにありうる。案外、当時の捜査の死角はそういったことにあったのかも知れないな」
「警部。徳津のパソコンの字体はすべて同じフォントでした。やはり並木さんのおっしゃるように、山城宅に届けられた脅迫状は犯人からだと思って差し支えないでしょうね」
「うん。並木は、佐々木聖子の遺品の中に犯人とつながる物があるのではと言っていたが、俺もそんな気がする。真実を明らかにするのは何も人間だけではないからな。もし実際に彼女が犯人と何等かの関係があるならね」
 佐々木聖子の実家は、甲州街道を望む静かな多摩丘陵と八王子市内を流れる浅川にはさまれた簡素な住宅街にあった。
 二人が訪ねた佐々木家は、一人娘を失った悲しみが十五年経た今もなお、続いているかのように、年老いた聖子の母が二人を静かに迎え入れてくれた。
小暮は簡単な挨拶と不可解な過去の事件の概要を話し終えると、年老いた母親に部屋を見せてもらうように頼んだ。
「娘が使っていた当時のままにしてあるんですよ。あれから十五年ですが、片付ける事が出来ないでいるんです」
母は、一輪のキクが飾られた窓辺の机にそっと手をやって言った。
「そうですか。いやそうでしょうね」
小暮は、今でも聖子が毎日この部屋に戻って来るような思いの中で、机を撫でる母親の気持ちは十分理解もできたし、あわれな死にかたをした娘を思いやる事もできた。
それ故、なんとしても手がかりを得なければならなかった。
「お母さん。お嬢さんは、どなたかとお付き合いをなさってはおられませんでしたでしょうか? 言いづらいでしょうが…」
「はい。あの子は社長さんとあんな事になるまではお付き合いしていた人があって、ときどきデートだと言って遅くなることもありましたが、いつだったかひどく落ち込んで一〜二週間ばかり食事もろくに喉を通らない様子でいた事がありました」
工藤が木暮の顔を見て微かに頷いた。
「それは亡くなられる前の、いつごろのことでしょうか」
「およそ一年くらい前ですが」
「その男の人とは…何が原因かは?」
「なんでもよく話してくれる明るい娘でしたが、このときばかりは黙りこくっていました。でも一つだけ気になることを言ったのをよく覚えています」
「気になること…、と言いますと?」
「ええ…、一言あの娘は『お金がないってつまらないわね』と、寂しそうに言ったのを覚えています…」
「相手の方をお母さんはご存じでしたか?」
「いいえ。娘はそのうち紹介すると言っていましたが」
「お嬢さんに手紙などは?」
「ええ。最初は良く来ていたようです。今もそのままにしてあります。ご覧になりますか」
「ええ。是非。お嬢さんの無念を晴らせる手がかりにでもなれば」
 老婆の開けた机の引き出しはきちんと整理され、生前の聖子の几帳面な性格が忍ばれた。
「これですが」
 木暮の手に渡されたのは五通程の手紙だった。
「これをしばらくの間お借りしてもよろしいでしょうか」

二人が佐々木家を辞退したのはその小一時間後であった。
「この手紙は全部ワープロかパソコン書きのようですね」
「しかし、どういうんだろうな。内容はラブレターだが、差出人の名も住所も簡単過ぎていったい誰なのか見当も付かない」
「サインは“T”ですね。これが姓なのか名前なのか判断できかねますしね」
「住所にしても八王子とだけだ」
「ほかにこの男性から来たと思えるものは何もありませんでしたし、警部。これからどうしますか?」
「この男が一体なに者かさえ分かればいいのだが…、それと母親が言っていた言葉だ」 
「『お金がないってつまらないわね』との、娘の言葉ですか?」
「そうだ。あの言葉の意味だが、君はどう感じたね?」
「父親が早く亡くなって母一人、娘一人の家庭です。質素な暮しをしていても、そう経済状態は楽ではなかったでしょうから、結婚話に支障が出ていたとも考えられますが」
「だろうね。そうすると相手は割合に裕福で複雑な家庭状況にあると考えられる」
 小暮の頭の中に、麻薬で丸まると肥え太った宅澤とその息子・玲二の顔が浮かんでいた。
小暮は、下唇を突き出して言った。
「この事件には必ず宅澤興業が絡み、イニシャルが“T”なのは宅澤に違いない。奴の指紋とラブレターの指紋が一致さえすればな」
 この、木暮の欲したものは、運良くその当日得られたのである。
 まさに幸運であった。
 八王子の邸宅から一歩も出ない宅澤玲二の指紋を得たのは裏木戸から出されたゴミとアルコールの瓶からであった。
 三〜四日前に近所の酒屋の店員が配達したことをを聞き込んだ小暮たちは、その機会待っていたのである。
いま邸宅に住むのは三人だけのはずであった。
 宅澤、糸波、そして住み込みをしているお手伝いの女性である。
 糸波と女性の指紋は早くから知られていた。
 そしていま、宅澤玲二の指紋も得られ、ラブレターの指紋と照合がなされたのである。
 だが、翌日に科警研から捜査一課にもたらされた報告は、小暮の希望を完全には満たすことは出来なかった。
 それどころか失望が希望をはるかに上回っていた。
「ぐれさん。ラブレターと山城宅に送られた脅迫状は字体が一致するが、指紋は母親以外は無理だそうだ。なにぶん時間が経過しすぎている。が、ラブレターの内容からみて、相手はある程度、高学歴と思える節がある」
「年齢的にはいかがですか?」
「そこまではむずかしいそうだ」
小暮と工藤は、上司・神宮にそこまで聞くと、当時まだ学生だった頃の宅澤玲二の同級生から彼の女性関係を聞き出すため、あと六日を残すだけの師走の街に駆出して行った。
 そして、再び小暮はこのことを並木に知らせた。
なぜなら、いかに佐々木聖子宅から発見されたものが彼のものであったとしても、それは単に恋愛関係があったとの事実だけであり、殺害に至るとする証拠にはなり得ず、現時点ではラブレターそのものが誰のものかもが特定できなかったからである。
既に今日は、十二月二十六日であった。
その朝、警視庁の小暮に、意外な面会者があった。
並木眞吾であった。
「おう! 並木どうした? 連絡もくれず」
「友人を驚かせるのは何も君だけの特権ではないさ。正月休みだよ。今年も有休休暇が消化できそうもないからね。それに、誰かさんが師走の東京でかけずり回っているのを餅を食べながら見ているわけにはいかないしね」
「そうか悪かったな。俺があんなファックスを入れたからな」
「そうじゃないよ。この前は会議でろくに東京を見ていないからね。それに少しは役に立つ情報もあるんだよ」
 笑いながら言う並木が桜田門に立ち寄ったのは、これが初めてであった。
 並木は、立派な庁舎と膨大な人員を抱えた友人の勤務先を見て、口には出さなかったがこう思っていた。
「こんな所で責められたら、普通の人間ならなかなかしらを通しきるのはむずかしいだろうが、あの糸波は動揺一つしなかったと聞いた。そんな男を顎で動かす程の人間なら相当に手ごわいだろうな」と…。
「ところで、指紋は出なかったらしいね」
「ああ。指紋は無理だった。それに宅澤が当時つき合っていた女は数人いたらしいと宅澤の大学時代の仲間から聞き込んだが、佐々木聖子だとの断定は難しい」
小暮はにがり切った表情で告げた。
「分かった。小暮、何でもいい! 宅澤本人が書いたものが欲しい。できるだけ長いものだ」
「奴はもの書きじゃないが…何をするつもりだ?」
「とにかく何でもいい。詳しいことは後だ! 会社の仕事で何かを書くことはあるだろう?」
「そりゃまあそうだろうが…、字数が多ければ良いのか?」
「出来ればな。それと、現在のものと、若い時分に書いたものの両方が欲しい」
「分かった。なんとかしてみる」
そのやりとりは、第三者が聞いても何のことなのか見当も付かなかっただろうし、正直言って、木暮にしても並木の意図が掴めてはいなかった。
そしてそれは、並木にとっても苦肉の策だったのである。
 その夕刻、ホテルで待機する並木の元に、
「これでどうだ。お前さんの注文通りだと思うが」と、小暮が息せくようにして持ってきたものは、宅澤の大学卒業時の卒論の写しと、商工会議所の経済情報誌に載せた宅澤の手記であった。
 手記はごく最近のものである。
もちろん、これも手書きでなく機械による作成・印字であった。
「この四つの文章を比べてみると、ラブレターと卒論はワープロ専用機で印字されているようだね。卒論の方は間違いなく宅澤玲二のものだね」
「十五年昔となるとパソコンは現在ほどには普及してはいなかっただろうからな。ラブレターも字体が同じで、ワープロ専用機で印字されたと分かっている」
「そうか。それなら話は早い。それと、卒論はともかくとして、ラブレターの方は筆跡を隠す為だと考えて間違いはないと思う」
「たしかに印字なら筆跡鑑定も出来ないし、指紋さえでなければ、ワープロを破棄してしまえば証拠は残らないからな」
「ところで、このパソコンで印字された徳津の書いた脅迫状と、山城宅に届けられたものの違いだが、徳津の自宅から見つかった脅迫状と山城宅に届いたものは、五行の内容は全く同じだが、二つだけ違うところがある。一つは印字された字体(フォント)が微妙に違うことと、このように徳津のものは最後の文字の後の二重かぎ”』”の中に句読点のまる”。”がないが、山城宅に届けられたものにはある」
と、並木は、手元の二枚の用紙ー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・『因島義則と佐々木聖子の死のからまも・
・なく十五年。警察は、時効を迎える前に・
・捜査を再開した。証拠は、私が握ってい・
・る。五千万用意して下さい。詳しいこと・
・は又連絡します』 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ー徳津宅のパソコン内のものー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・『因島義則と佐々木聖子の死のからまも・
・なく十五年。警察は、時効を迎える前に・
・捜査を再開した。証拠は、私が握ってい・
・る。五千万用意して下さい。詳しいこと・
・は又連絡します。』 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ー山城宅に届けられたものー
の、それぞれの脅迫状を照らし合わすと指で差し示して言った。
「たしかにお前さんの言うようにここは違うが…、徳津が間違って印字したとは考えられないか?」
 並木はその問に対して、木暮にラブレターと宅澤の卒論・手記を見せ同じように指さした。
「いや、君達が押収した徳津の書いたものはすべて同じだよ。逆に、宅澤のは、卒論も手記も、二重かぎ”』”で囲われた中には句読点のまる“。”が必ず打たれてある」
「そうすると、この宅澤という男にはこうした癖があってもおかしくはないと言うことか?」
「だろうね」
「しかし、徳津のパソコンから印字された字体(フォント)とただ一ヵ所の句読点”。”の違いだけではどうにもならんし、同じ字体(フォント)のパソコンやワープロ専用機を使用する人間は山ほど今はいる」
「まあ、待てよ。本題はこれからだ。君が言うように、同じ字体(フォント)だけでは決め手にはならないことは僕だって分かるよ。現にこの手記だって、宅澤本人のものだが、出版社での編集と構成の時点で字体(フォント)が変えられている。宅澤の卒論は一般に言う明朝体だろ? しかし、この手記はそうじゃない」
「しかし、二通の脅迫状の文字のインクは同一のものだと科警研が断定している」
「まあ聞けよ。人間には人それぞれの特徴…、いや生まれつきといえるものがあるはずだ。それは文体にも出るんだよ。僕はそこに賭けたんだよ」
「賭ける? どうするんだ?」
「まあ、見ていてくれ」
並木は木暮の思案顔を後目に持参してきた自分のノートパソコンを手元に置くと、四種類の文章を見比べていたが、何を考えていたものか、それぞれの文章の動詞や名詞、濁点などの文章を形成する用語を数え、それぞれの数をパソコンに表示されている複雑な数式に当てはめ始めた。
「ラブレターと卒論それに、手記は、本来はすべてまったく別の内容だ。だが、構成するものをこうして書き出してみると、徳津の脅迫文を除いては、共通することが幾つもあるようだね。句読点の位置や使用頻度の多い言葉だよ。例えば『と言う。〜すること。でなければならない。当然。もちろん』などは非常に頻繁に使われている。強く断定や決定の言葉だ。そして漢字が非常に多く使用されている」
「…」
「君は”因子分析法”を知っているかい?」
「因子分析法? なんだそれは」
小暮は、パソコン内の訳の分からない数式と並木の顔を交互に見て訊いた。
「本来は心理学の分野から生まれたもので、現在は地質、言語、歴史、音楽などの分野で幅広く使われている。数学とは無縁と思われがちな領域を計算式で表し、有効に活用するんだよ。もちろん文学にも大いにその威力を発揮するはずだ」
「もっと分かりやすく説明してくれ。理系出身のお前さんと違って、俺は文系だ」
「そうか。簡単に言うと、事実は多様性の塊りといえる。それを比較し、総合して、それらが持つ基本的な概念を探るわけだよ。その概念が”因子”だ。例えばここに、ある有名作家の文章がいくつかあるとすると、その構成された表現ーすなわち句点・読点の数、比喩・擬態語の表現、文節数の長さ・過去形、現在形などを数式で処理して、どの様な傾向であるのかをそれぞれ性格分類できるんだよ」
「ほう…。そうすると誰が書いたものか分かるのか?」
 木暮は、“分かったか、分からないんだか”どっちとも取れる表情と声で訊き、再び並木の顔を見た。
「もちろん、絶対的なものではないが、信頼度は非常に高いものだよ。信頼できると僕は言い切れる。プロの物書きが、よほど意識して書き方を変えない限りはね」
「それに加えて、状況証拠か! 分かった。すぐに取り掛かってくれ」
その言葉で、並木は再びキーボードを慣れた手つきで叩き始めた。
 そして、パソコンの画面を食い入るように見つめるその目は、時効を目前にした木暮の目と同じほど険しかった。
一時間後。
「ふうー」
木暮は、長いつきあいの中で並木の口からこの言葉が洩れでたのを聞いたのは今日が初めてだった。



「どうした。まずい事か?」
研究者の作業の邪魔になってはと、ソファーに座っていた木暮が、不安な表情で近づき尋ねた。
「いや。その逆だよ。出来た」
「分かったのか! それで…」
「ラブレターと論文、それに手記は同じ人間だ。まずまちがいないと思う」
「本当か! 宅澤か!」
並木は木暮の言葉に軽くうなずくと、
「この三つの文章には、普通には見られない特徴が数多く見られる。脅迫状と比べると」と並木は言い、手元に置いた紙に箇条書し始めた。

一、脅迫状 (徳津宅の文)  二、脅迫状(山城宅に届いたもの)
漢字の量が非常に多い。 漢字の量が非常に多い。    過去形を使用していない。   文の長さが極端に短い。 人名を正確に書いている。 句点、読点が非常に多い。
   色彩語が見られない。 過去形を使用していない。
文の長さが極端に短い。 人名を正確に書いている。
句点、読点が非常に多い。 人名を正確に書いている。
人名を正確に書いている。 色彩語が見られない。
比喩が使用されない。 比喩が使用されない。
文の終わりに“。”がない。 ●文の終わりに“ 。 ”
 
三、卒論・手記・ラブレターに共通するもの
   文の長さが長い。
   センテンスも同様に長い。
   漢字の量が非常に多い。
句点、読点が非常に多い。
過去形を繁茂に使用している。
人名は殆どイニシャル使用。
色彩語が多く見られる。
比喩が繁茂に使用される。
  ●文の終わりに必ず“。”
丸かっこ、が良く使用される。

「ここに書いたように『ラブレター ・卒論・手記』は、ほぼ同じ文体だよ。普通は『小説・論文・手記・恋文』などは、それぞれの文体が違うものだ。だがこの男の書いたものは殆ど同じ傾向を持っている。つまり“因子”が同じなんだよ」と、並木はラブレターと言わずわざと漢字で言った。
「そうすると、つまり下手くそな文章と言う訳か。ハッ、ハッ、ハッ」
 木暮はそう高笑いをして、次の瞬間、慌てて言った。
「こんな冗談を言っている場合ではなかったな。すまん」
並木は頭を掻く友人にかまわず、続けた。
「なあ、小暮。この手記の原稿は、多分パソコンだろ? 出版社に原紙があるんじゃないのか」
「手記の字体と脅迫状の字体か! 両方とも最近書いたものだな!」
 並木の言葉に応えると同時に、小暮は再び師走の街に飛び出していった。

手記を発行した出版社は港区にあり、今、木暮は部下の工藤と師走の市街地を急いでいた。
「警部! 宅澤玲二が佐々木聖子に近づいたのは何故でしょうね?」
「宅澤玲二は、結婚を餌に佐々木聖子を篭絡して、麻薬の売買から足を洗おうとする因島を見張らせたのだと思う。そして聖子は玲二との結婚を信じ夢見て横領に手を染めたのだろうが、それも玲二が計画的にしむけのだろう。奴の環境なら女はいくらでも自由に出来たはずだ。だが、一人の平凡な女を夢中にさせるにはある目的があったんだよ」
「金を貢がせるためですね」
「もちろん奴は金などには困ってはいない。伍代早苗を陥れるためにだ」
「そうすると、その金が伍代早苗の冷蔵庫の中の金だと…」
「多分まちがいないはずだ。奴は、相当に頭が切れる。佐々木聖子は奴の手のひらで弄ばれているようなものだったに違いない」
「しかし、宅澤玲二があの晩、二人を殺害したとして、何故伍代早苗が折り良くマンションに行ったんでしょうね」
「伍代早苗と佐々木聖子は同僚だよ。聖子が『社長が来てくれと言っていた』とでも一言早苗に言えば、彼女は当然マンションにいくさ。もちろんそれも玲二の指示だろうがね」
「因島と聖子が“寝た”のも玲二の差し金でしょうか?」
「だろうね。普通なら考えにくいが、聖子はなんとしてでも玲二を離したくなかっただろうから、奴をつなぎ止めることが出来るならそれ位はしたはずだ」
「畜生のような男に良いようにされた哀れな女だったんですかね。佐々木聖子と言う女は」
若い工藤の憤懣でいっぱいの言葉に対しての小暮の返事は、その鋭い眼の光であった。