第十一章 駆引きと自白
二日後、小暮は宅澤の父の死と、かつての従業員である陣野の殺害事件での事情を聞く名目で宅澤玲二の任意の事情聴取にとりかかったことは言うまでもない。
「宅澤さん。今日おいでいただいたこととは直接には関係がないのですが、十五年前にある事件で亡くなった佐々木さんをご存知ないでしょうか?」
「佐々木? それはなんの事件ですか」
「佐々木聖子。ご存じありませんかね。あなたのお住まいのすぐ近くでガス会社の社長とその事務員が殺害された事件ですよ。たしか、お宅にもそのガスが配達されているはずですが」
「ああ、あの事件ですか。それならば良く覚えていますがね」
「そうですか。実は、その佐々木さんとあなたがお知り合いだと言う人がありましてね」
「私がですか。まさか! 誰がそのようなことを警部さんに?」
「そうですか。ご存じない」
「ええ。もちろん」
さも驚いたような表情で宅澤玲二は否定した。
「警部さん。私をお呼びになったのは、そんなことを言うためなんですか。私は父と死んだ陣野君のことで呼ばれたはずですがね…」
「あ、そうでした。これは失礼。ところで、徳津さんはご存じありませんか。この方ですが」
木暮の取り出した写真を宅澤は一瞥すると、
「さあ? 判りませんね。初めてみる顔ですが。この男が何か?」と逆に聞いた。
「ええ、実はこの男は殺されているんですが、その原因は、何者かを脅迫しての結果らしいんですよ。その脅迫の内容が佐々木聖子さんが殺害された事件のことなんですがね」
「又ですか! 警部さん。どういうつもりですか!」
宅澤は若干、語気を荒げて言った。
木暮はその言葉を無視して続けた。
「いやそれだけではなく、佐々木さんと一緒に殺された因島さんですが、その後の調べにより、彼が麻薬の売買に関係していた事実が判明しましてね。それがなんと、驚いたことにある大手の会社が絡んでいるのではとの疑惑がでてきたんですよ」
「どういうことなんですか?」
「我々は、あなたの父・徹人氏を殺害した女囚から”ある手帳”のことを聞きつけたんです。そしてその手帳を追う中で、おたくの社員・陣野さんのことを知りました。もちろん殺害死体ですがね。彼は銀行の貸し金庫の中に”ある手帳”を隠していました。もちろんすでに警察が押収していますが」
「警部さん。その手帳が私のものだと?」
「そうは言っていません。単に大手の会社と言ったまでです」
「そうですか。では、なかなかおもしろそうな話ですから続きがあれば聞きたいものですね」
宅澤は椅子にふんぞり返るようにして木暮を見て言った。
「もちろんですよ。そうおっしゃると思っていました」
小暮は笑顔で続けた。
「そんな中で再び殺人がありました。写真の男…この徳津ですが、彼が殺害されたのは、どうも十五年前の殺人の証拠を握っていて、犯人を脅していたからと思われるんですよ。たぶん、犯人に直接つながるものを持っていたんでしょうね。そしてそれが事実だった。犯人は徳津を捜したはずです。そして犯人はあることに気が付いた。それは『因島と佐々木の殺害時の自分の姿を見られた』と言うことですよ。『見られたとしたら、殺害現場であるあの因島さんのマンションしかない』と見当は付くはずです。犯人は一人の男をそのマンションに引っ越させた。もちろん殺害現場の部屋の見える場所ですが。やがて見張り役のその男は、一人の不審な行動をする人間を見つけた。犯人は部下を使ってマンションの住人と、当時にマンションに住んでいた住民を片っ端から当たっていたんでしょうね。その人間は、山城宅や、八王子のあなたの屋敷の周辺を探っていたんですよ」
「なるほど、とてもよくできたつくりごとだ。それじゃあ私が犯人と言うことですか」
「違いますか? 宅澤さん。引っ越した男はあなたの部下・糸波さんですよ!」
「糸波が事件のあったマンションに越したことは知ってはいますが、それは彼の事情で私の命令ではありませんし、それにあの事件のあった夜に私があのマンションに行ったことが証明できるのですか? もしそれが証明できる写真でもあれば見せて貰いましょう」
口元に薄笑いを浮かべて宅澤は言った。
それに応えず小暮は、逆に尋ねた。
「最近、あなたと部下の糸波さんはずいぶん忙しそうになさっておられましたが、何かトラブルでもあったんですか? 我々の調べでは、徳津が脅迫をした時期と重なるのですがね。それと、糸波さんが島根県の隠岐島に向かわれたのはお仕事ですか。それとも、ほかに…公言出来ないことが起きたのではありませんか? 糸波さんは三回ほど隠岐に出かけておられますが、仕事で行かれた形跡はありません。いったい何のためだったんですか?」
小暮は外堀から埋めようとしていた。十五年前の宅澤のアリバイを崩すことはほぼ不可能であったことは言うまでもないからである。
「さあ…。私が彼の上司であってもその全ての行動を把握をしている訳ではありませんからね。帰省でもしていたんでしょう」
「帰省ですか。なるほど。しかしですね宅澤さん。おもしろいことが判ったんですよ。糸波さんの奥さん、つまり内縁関係のですがね。たしか蘭子さんと言われるはずですが、その名の通り非常に植物、特に花がお好きな方のようで近所の方の話では、自宅で珍しい花をいろいろ育てておられるそうですよ」
「言うことに事欠いて、今度は花の話ですか!」
宅澤は皮肉ぽく言い放ったが、それは用心深くとさえとれる言い回しだった。
「ええ。花です。それも島根県だけにしかないもので“イズモコバイモ”と言うのですがね」
小暮は、並木とこの花の存在がなければ、とうていこの目の前の男に近づくことは出来なかったはずであったろう。
並木は、「この花が何故隠岐で生育したのだろうか」という疑問を、あらゆる観点から探っていたのだった。
やがて並木は、かつて同僚の一人が言った「盗堀」という言葉から、糸波本人が行ったのではとの推測を立て、小暮に知らせていたのである。
そして、糸波の周辺を当たる工藤と八王子署の島田は、彼の内縁の妻の趣味がガーデニング(花いじり)であり、糸波が隠岐島より戻った最初の春先、行き付けの花屋でその希少植物“イズモコバイモ”の生育方法を聞いていたことを掴んだのであった。
「その花が咲いていた隠岐島の林の中で陣野さんは埋められていました。そして、そこから問題の手帳が隠されていた“金庫の鍵”が見つかったんですよ」
小暮はそこまで言うと工藤に「あれを」と指示した。
宅澤の前に置かれたのは、証拠の手帳であった。
「これなんですがね。筆跡鑑定の結果、あなたの父・徹人氏のものでした。陣野は麻薬の売買のネタで、脅迫して逆に殺害された。しかし、悪いことは続くものですね。今度は徳津猛が、あの十五年前の事件のことが書かれている週刊誌を偶然読み、あることを確信したんだと思います。まず最初に、逃げるように因島の部屋から立ち去る伍代早苗を見て不審に思った徳津は因島の部屋に様子を見に行った。そして、そこで見たものは二人の惨殺死体と写真だった。因島は妙な趣味がありましてね。徳津が見た写真に写っていたのは、かつてつきあっていた女性だったんですよ。驚いた徳津はそこにあった数枚の写真をとっさに持ち出すと自室に戻り、警察に連絡しようかと迷った。だが、ことが公になれば、ある少女の将来に傷が付くと判断し押しとどまった。しばらくして、廊下を歩く足音でそっとのぞくと、ある男が血相を変えて、同じように立ち去るのを見た。彼の部屋は二階です。そして駐車場がよく見える。車に乗り込む男のナンバーをとっさに控えた」
宅澤は、そこで大きく笑いだした。
「なにがおかしいんだ!」
工藤が思わず気色ばんで言った。
「実におもしろい話だ。刑事にしておくのはもったいない。私がその続きを話しましょう。そして、そのナンバーの車が宅澤玲二。つまり私の所有であり、時効前に脅迫して倍額の金をむしり取ろうとした。さらに犯行を伍代早苗に着せるため、横領と見せかけた金を冷蔵庫の中に隠した。以上! 警部さん。推理作家気どりは良い加減にしたらどうだ!。 これ以上出鱈目を言うと私も黙ってはいませんよ。私が現場にいたという確かな証拠を提示するか、逮捕状を取るまではいっさい私に近づかないでくれ!」
「…」
「どうしました。それから先は、警部さん。あなたの言う番ですがね」
「…」
「ハッハッハッ。終わりですか」
「分かりました。では、あなたは十五年前の事件も、今回の二つの事件も一切関わりがないとおっしゃるんですね?」
「くどいですね、警部! 十五年前に佐々木聖子と因島義則を殺したのは、伍代早苗で、それはあなた以外の全ての警察が既に認めている。あなたは少し、いや、相当物事を飛躍して考える人のようですな。ハハハ…」
言い放つ宅澤玲二の顔は、小暮以外には勝ち誇ったかのように映っていた。
「…」
「警部!」
不敵な顔で戻って行く宅澤と、その後ろ姿を見送る小暮の顔を見比べる工藤が悲痛な声と顔で言った。
しかし、小暮の顔は満円の笑みを浮かべていたのである。
「?」
「工藤君。奴が犯人だ。伍代早苗は無実だよ」
「エッ!」
「しょせんは犯罪者だ。自ら自白した。伍代早苗が横領したとされるあの金が“冷蔵庫の中”にあったことなど警察は一度も口外したことはないんだよ。無論新聞記者にもね。それと、奴は『時効前』とも言った。これも伍代早苗が犯人ではないと証明している」
「引っかけたんですか!」
「おい、おい。人聞きの悪いことを言うなよ」
「そういえば…私も、良く十五年も前の事件の関係者のフルネームを覚えているなとは思いましたが」
「俺なんか先週のことを思い出すのにも最近は困ることが多いがな」
木暮は笑いながら言うと、次の言葉は工藤の耳元で囁いた。
小暮はこう言っていた。
「内心は生きた心地もしなかったんだぞ。だが、並木のおかげで確信を持ってはいたがね」と…。
そして、そう告げる小暮の心の中には、この二日間、わざわざ正月休みを返上して、四種類の文書を懸命にパソコンに入力していた並木の姿が浮かんでいた。
小暮は、科警研に脅迫状やラブレターの指紋鑑定、インク成分の鑑定などを依頼すると共に、並木にもそのコピーを送っていたのであった。
並木は二通の“脅迫状”(山城宅に届いたもの、徳津のパソコン内のもの)、そして五通の“ラブレター”、さらにもう二つの文章ー大学卒業時の“卒業論文と手記”ーの写しを手に入れた。
小暮がラブレター発見のことを連絡した途端、並木は不思議なことを言い出したのであった。
「判った。ひょっとすると突破口が開く!」
それが、あの“因子分析法”であった。