第十二章 時効成立三日前
その夜、八王子の邸宅で、宅澤玲二は『徳津猛と佐々木聖子殺害容疑及び横領教唆』で、そして糸波譲は『陣野忠殺害と因島義則殺害及び死体遺棄』の容疑で警視庁捜査一課警部・小暮大次郎に逮捕された。
その陰に、並木の強力な協力があったことは言うまでもない。
まず最初に小暮の追求の手に落ちたのは、伍代早苗の“生い立ち”の全てを知らされた、完全黙秘を通していた糸波譲であった。
島根県警・八王子署、そして木暮の必死の捜査で得た数々の証拠を目の前に糸波の口はなお重く堅かった。
だが、木暮の追求は慎重かつ冷静でもあった。
「糸波。あんたは、今でも出雲の弟が世話になった叔父夫婦に、決って仕送りをしているらしいね。そんな弟思いが何故なんだ。あんたは、人の苦しみを知らない人間ではないはずだ。そんな人間が、何故悪事に手を染めた」
「…」
「なあ、糸波。あんたも早くから親と離れて幼い弟と苦労して来たんだろ? あの伍代早苗が親の顔も知らず、孤児院で育ったことを知っていたか?」
「孤児院?」
糸波は、木暮の言葉に無表情だった顔を歪めて驚いたように言った。
「そうだ。彼女だけでなく、先代社長・宅澤を殺害した村尾伊佐子もそうだ。だが、あんたは少なくとも兄弟がいる、だが彼女たちは天涯孤独だった。病弱で、誰にも頼ることも出来ず、やっと掴み掛けた幸せもすべて失った」
「…」
糸波は、再び大きく顔を歪めた。
小暮は、冷酷なこの目の前の男が、ある種の善悪の葛藤の中で必死に戦っていることを見抜居ていた。
長く、苦しい沈黙が、二人と工藤を包んでいた。
木暮は、目を閉じる糸波の表情をただジッと見つめていた。
やがて、糸波はゆっくりとそして、観念したように口を開いた。
「因島義則と陣野忠を殺したのは私だ。そして、佐々木聖子を殺し、その罪を伍代早苗に着せたのは宅澤社長だ。徳津を高速の架橋から付き落としたのも社長だ」
糸波は、語り始めた。
「四年前のことだった。先代社長であった宅澤徹人は、彼が築いた組織の命運を握る手帳を盗み出した陣野を捜し出すことを私に指示した。しかし、先代社長は村尾伊佐子に殺され、探索は現社長である宅澤玲二に受け継がれた。指示を受けた私は、私の弟からの手紙で偶然に陣野が生まれ故郷の立久恵に潜んでいることを知り、彼を捕らえた。しかし、手帳の在処を吐かせる途中で暴れる彼を誤って殺してしまい、遺体を隠岐島に運んだ。隠岐は離島で観光客も多い。反面、開発が遅れていることは私にとって幸いだった。これ以上手を加えられることもない場所が多かったからだった。なにせ国立公園だからな。だが重大な誤算が生じた。それが、警部さんたちが、私と陣野を関連付けたイズモコバイモだった。陣野を殺す前だったが、妻が好きな花をふと目にした時から、私と宅澤玲二の運命は決まっていたかも知れませんがね」
糸波は、自嘲気味に言った。
「我々は何故あの花が隠岐にあったのかを考えたんだよ。普通ならないことになっている花だからね」
「陣野の死体を埋めるとき、種が落ちたんだと思う。それが警察にこの事件を気が付かせるきっかけになるとは夢にも思わなかったが…。半年後、私はあることに気が付いた。手帳はどこかに隠されている。そしてそれは、銀行の貸し金庫ではないかと…。ひょっとすると、鍵は陣野が飲み込んだのではと推測したんですよ」
「だから二度目に隠岐に行った時点で堀り出した。だが寒い時期でもありほとんど体は元のままだった。そのためには白骨化させる必要があった。そうだね?」
「ちょうどその場所から摩天涯が見えた。そこなら自殺にもってこいの場所と考えた私は、摩天涯に陣野を運び、用意していた睡眠薬を酒と一緒に体内に流し込んだ。もちろんそのほとんどは、飲み込ませることはできなかったが」
「そして三度目に行ったのは白骨から鍵をとるためだったんだね? 警察官が制止したのは、あんただったんだろ?」
「ああそうだ。だが、まさか死体が発見されているとは夢にも思わなかった」
「十五年前の事件はどっちの指図だったんだね?」
小暮は、因島の裏切りから事件は始まったとにらんでいたが、それも事実であった。
「因島と先代社長は、経済界の会合で初めて顔を合わせた時から、同じ八王子と言うこともあったのだろうが不思議とうまがあった。そのうち因島は、秘密パーティーなどで女を当てがわれたりして、先代が仕向けた罠にはまり、抜き差しならない立場に追い込まれていた。そして、麻薬の密売に手を貸した。もちろん因島本人は薬はやってはいない。知り合いを紹介するだけだったが、ばれればもちろん違法だ。しかし、因島はある時期、足を洗いたいと、逆に先代を脅すとも言える行動にでた。因島は伍代早苗に上せていた時のことだった。あの娘は我々が見てもそこいらにはいない美貌の持ち主だったからな」
「裏切った因島を殺し、早苗を犯人に仕立て上げようとしたのは判るが、佐々木聖子殺しはどういったことからなんだね」
「佐々木聖子と社長の出会いも仕組まれたものだった。ある時、偶然にホテルのバーで会ったように見せかけたんですよ。年齢的にも焦っていた彼女は、社長の女扱いのうまさにまいってしまった。なにぶん父親ゆずりだしね。しばらくして社長は結婚を匂わせ自分の女にしてしまっていた。そして横領させた金をも貢がせるようにした。これももちろん巧妙で計算し尽くされた作戦で、裏切らせないためでもあったし、伍代早苗を陥れる伏線でもあった。しかし、しだいに聖子も『妙だ? だまされ、利用されているのでは』と感じたらしい。だから関係の清算を迫った。横領した五百万ともてあそばれた代償の一千万円をね。だが社長は最初から因島と佐々木聖子を始末することを考えていたんだよ。こういう点は先代よりも冷酷だったし決断も早かった」
「二人の殺害指示は宅澤玲二。彼だね」
「そうだ。あの日は、ちょうど十二月三十一日だった。マンションの住民の多くが帰省する年末が都合がよかったしな。社長は、佐々木聖子から手を引くし、因島ともこれっきりにするという都合のいい話を相手にした。そしてその晩、因島の部屋で会うことにしたんだよ。因島の部屋で、と言うことで相手を信用させることが目的だった。因島の部屋は二階の非常階段のすぐ側にあるから私が侵入してもとがめられる恐れは無かった。三人が話をしている最中に、私が因島の後頭部を鉄製の灰皿で殴り、殺した。そして、私が佐々木聖子を捕らえると同時に社長が彼女の額を同じ灰皿で殴り、殺したんだよ。幸い血痕はほとんど飛び散らなかった。その後、全裸にした二人をベッドに入れて情事のさなかの殺害と細工をしたんだよ」
「その後かね。伍代早苗が来たのは」
「殺害時のおおよその時間を見計らって、『彼女にも、因島のマンションに来るように』と、前もって佐々木聖子に言わせていた。それも、より信頼させるためだがね」
「それから、あんたはどうしたね?」
「非常階段から抜けだして伍代早苗のアパートに行き、合鍵で侵入して冷蔵庫の中に金を隠した。例の横領した金と同金額をね」
「合い鍵は?」
「鍵はだいぶ前に佐々木聖子を利用して社長が作らせていた」
「どうして宅澤は、あんたと一緒に逃げなかったんだね?」
「佐々木聖子から写真のことを聞いていたからだ。佐々木聖子と因島、そして自分(玲二)のことが明らかになることを恐れて、証拠の隠滅を図るためだったようだ。社長は、佐々木聖子に何通かの手紙を送っているからな」
「ワープロ書きのラブレターか」
小暮は大きくうなずき言った。
「『ラブレターからばれる恐れは無いだろうが、因島と佐々木聖子の情事が今回だけだったと思わせたかった』と、社長から後で聞いた」
「なるほど。とうぜん、我々は佐々木聖子と宅澤の関係を怪しむからね」
「写真を見つけだしたころ、伍代早苗がやってきた。そして仰天して逃げだしたところをマンションの住人にみられた」
「宅澤は?」
「別室で潜んでいたが、やはり社長も慌てたらしく、写真の何枚かを現場に落としたらしい。そのことに気が付かずに非常階段から逃げたようだ」
「車か?」
「いや。途中で私と落ち合った」
「その時だね。徳津に見られたのは。そして、彼は二人の死体と写真を見た」
「ああ。それから十五年が経った。徳津は、社長に脅迫状を送り付けた。警部さん。あんたが言ったように、『宅澤が見られたのはマンション』でだったはずだ。しかし、その時点では徳津も逃げた男が誰だか判るはずもなかったし、写真を表沙汰にする訳にはいかなかっただろうが…。もちろん、このことはどうしてなのかは我々は判らなかったが…。徳津が警察に届けない理由を知ったのは、あの男が我々の周囲をかぎ周り始めた時だった。私が山城宅を覗いて、山城の妻・舞子の顔を知って初めて感づいた。それが写真の女だとね。だから弁護士や部下を使って、山城の妻と徳津の関係をさぐったんだよ。結果は警部さんがご存知のとおりですがね。徳津の部屋に忍び込んだ我々は、彼のパソコン内の脅迫状と女・二人の写真を見つけ、山城の妻のだけをそのまま残して引き上げた。もちろん、徳津を始末する準備のためにですがね」
「判らないのは、何故徳津は宅澤玲二が十五年前の男と気がついたんだね?」
「社長は、若いがなかなか切れる男で、商工会議所の青年部の会長をしている関係で、最近よく市の広報にも掲載される。徳津は、その顔写真を見て同一人物だと感づいたらしい。彼の部屋にその記事や、社長に関連する資料があった。もちろんそれは私が始末したが」
「なるほど、だから十五年だったのか」
と小暮は、徳津が何故そのように長い間脅迫を待ち続けていたかが不思議でならなかったことを糸波に聞かせた。
「警部さん。一つ聞いてもかまわないか」
今度は糸波が小暮に問い返した。
「なんだね?」
「どうして山城宅に送った脅迫状が、徳津のものではないと気がついたんですか?」
糸波の口調は徐々に変わりつつあったのを木暮は微笑んで聞いていた。
「あれか。人間には誰しも癖があるからね。その癖が明らかにしてくれたんだよ」
「癖?」
「そうだ。癖だよ」と、小暮は同じ言葉を繰り返して、尋問を続けた。
「徳津を呼び出したのは、どういう方法を?」
「あれは、徳津の呼び出しに応えたまでのことですよ。徳津は、高速で午後八時に金を渡すように社長に連絡してきた。だから、社長は山城にパソコンから盗んだ脅迫状を送り、殺人実行犯になってもらうことにしたんですよ」
「山城宅に電話したのが宅澤だね」
「十六日の午後八時に高速の殺害現場に来させる手はずになっていた」
「だが、手違いが起こったことに宅澤は気がつかなかった。高速のトンネル内で事故があって、一時間ほど山城の車は足止めを食ったことをね。もちろんトンネル内で携帯電話は使用できなかったし、山城から宅澤にかけるわけにはいかないからね」
「我々の計画はそこで狂ってしまったが、遅れて来た山城の金は、見張っていた私が奪った。もちろん、高速から徳津を突き落としたのは、社長・宅澤玲二ですが」
「なるほど、だから死体はあったが金がなかったんだな。しかし、糸波。良く話してくれた。罪は罪だが、礼を言うよ。」
小暮はそう言うと、工藤の調書書きする様子を横目で見て、ゆっくりと壁のカレンダーに目をやった。
今日は十二月二十八日であった。