並木眞吾     国立地質研究所技師
志帆        並木の妻
木暮大次郎   警視庁捜査一課警部
工藤栄一     木暮の部下・刑事
野上        島根県大田警察署の刑事
向居 満      医師
さと子       向居の妻
一正        長男
玲奈        娘
井辻 美土里   研究生
上杉博司     無職の男
竹見貢      土木作業員
内田恒太     スタジオ・ミロの経営者
椎名瑠美     ニュース・キャスター
三峯利香子   瑠美の友人
甲沼        利香子の恋人






目次
プロローグ
第一章 板尾第五遺跡
第二章 消えた女
第三章 フィッション・トラック(ウランの飛跡)
第四章 現れた女
第五章 行き止まり
第六章 漂着遺体
第七章 水郷祭の夜
第八章 白い小石
第九章 井辻美土里
第十章 暴かれた秘密
第十一章 三峯利香子
エピローグ









    プロローグ


 氷点をはるかに下回る大地を包み、込むぼんやりとした大気の中を、ものうげで微かな陽光が広がっている。
北半球はおろか、地球の大部分を多い尽くした氷河に形作られた大地。この地は、吹きすさぶ雪と急峻な岩山に守られた太古の姿をいまなお残し、人を寄せ付けない過酷さをも合わせ持つ白い禁断の地である。延えんと広がる雪原と、それに続く濃い針葉樹の森。その隙間を縫うように流れる氷の川。遠くに荒々しい岩肌をむき出した切り立つ断崖を持つ峰々。
 白い雪と氷河の大地は、それを覆う大気が生み出す幻想的なきらめきの空間に包まれている、
 凍てつく空間に現れた、柔らかで掴みどころのない、まるで雲のように広がる粒子の粒は、徐々に静寂だけに支配された不毛の大地を満たしていく。
 緩やかに流れる水のような優しさをたたえて、キラキラと輝きながら成長するダイアモンド・ダストの出現する極寒の世界。遥か三万年の昔、ウルム氷期と呼ばれる最後の氷河期に、人類の一部は不毛の大地シベリアから、陸続きとなった日本列島に足を踏み入れた。
彼らは、ヒュウヒュウと吹きすさぶ雪混じりの草原を、巨大な動物の跡を追ってきたのである。
 群をなす巨大な生き物は、頭部から足先までも長い獣毛に覆われ、凍てつく空気と風でさえ、彼らの移動を拒むことは出来なかった。
だが、体高四.五メートルに達する巨獣達でさえ、分厚い毛皮をまとい、手には粗末だが天然のガラス質の穂先を持つ強力な槍と、めらめらと燃えさかるたいまつを持つ人類と言う生き物には為すすべもなかった。 
 狩人は、ある時には雄叫びをあげ、またある時には地を這うように注意深く巨獣を追跡した。
氷河期に、ツンドラとステップを支配した巨獣マンモスは今、知性と道具を兼ね備えた新たな支配者から逃げ延びることで精一杯なのだ。
マンモスの多くは南進しても、いく手には死だけが待ち受けていた。体高が彼らの三分の一にも満たない狩人達の追跡から逃れた仲間でも、ぬかる大湿原に巨体の自由を奪われ、数万年の眠りを迎えた。北進した仲間も、深い大地の裂け目と飢えに巨体を地に這わせていった。
今、彼らの移動は最後の逃避行だった。巨獣達は疲れ切り、彼ら全部が火に追われ、槍で傷ついていた。
狩人達の持つ黒光りした鋭い槍先は巨獣の剛毛を突き刺し、肉を切り裂き、皮下脂肪の二十センチも奥までも進入し、そして骨までにも達した。
巨獣達には、昼と夜の区別などあろうはずもなく、狩人の雄叫びと、耳をつんざく巨獣の苦痛と悲しみの咆吼だけが寒風が吹きすさぶ荒野に響き渡っていた。
 やがて、最後の一頭が、巨体に不釣り合いなほど小さなつぶらな眼に、断末の苦しみを浮かべて針葉樹とコケが覆う北の大地に崩れ落ちたとき、彼らはその巨大な体躯を二度と人類の眼にふれさせることはなかった。
 有史以来、陸上最大のほ乳類マンモスが絶滅した後も、狩人たちの時代は長く長く続いた。狩人たちは死んでは生まれ、生まれては死んでいった。
 そして、彼らの死とともに、マンモスを狩った鋭く光る槍の穂先・黒曜石も、生きるためだけにつむがれた彼らのささやかな文明の芽生えも、冷たく凍てついた大地に静かに埋没し消え去っていった…。
 




    第一章  板尾第五遺跡


平成十一年六月…。
島根県は、国立公園の名に恥じない風光明媚な景勝地を幾つも持つ、日本海に面した細長い県である。
島根県と聞いて、多くの人々がまず最初に思い浮かべるのは、県庁所在地である松江のシンボルともいえる武家屋敷に滞在した、小泉八雲も連想するだろう。
また、縁結びの神を祭る社としてもつとに知られている出雲大社ではなかろうか。 出雲大社は、古くは日本書紀や古事記でも紹介されてもいる。おまけに、この社の境内から、従来謎とされていた古代の出雲大社の姿に迫る発見があったことも、日本中の関心をさらっているはずだ。  
 出雲大社境内遺跡と呼ばれ、ここ数日新聞紙上やメディアを賑わさない日はないほどである。
 その出雲から千キロほど離れた東京で、警視庁捜査一課警部・木暮大次郎もこの話題が大きく掲載された新聞を昼食時のデスクに広げて受話器に向かっていた。
「よう並木! 新聞を見たぞ。なんともすごいものだな。従来の説が裏付けられたようだが、お前さんは見てきたか?」
だみ声が、並木の耳に久しぶりに届いた。たぶん一年ぶりではないだろうか。
 電話の相手の並木眞吾は、話題のニュースの発信源である島根県に住む地質研究者だ。
 島根県は、山陰と呼ばれる。よく言ったもので、読んで字のごとく、面積の大部分を急峻な山地が占め、わずかばかりの平野が出雲部を中心に広がっているだけだ。
出雲大社のある大社町も、この簸川平野と呼ばれる低地に位置している。
古来、神都と呼ばれる出雲と石見の人々は、素朴な人柄ーよく言えばそうだが、どちらかといえば人見知りする性格と、並木は思っているが…。
島根県の地理的な呼称は大きく二分して、呼ばれる。一つは出雲部、そしてもう一つは石見部。
日本海を見渡しながら走る国道九号線を松江から西に走ると、多伎町というイチジクが特産の小さな町があり、ここから続く難所といわれる仙山までが俗に言う出雲部だ。そして、この難所・仙山を急勾配で下ると石見部に入る。
土地の住人も、この仙山を境に若干の言葉の変化と、経済が大きく変わることを知っている。
並木の住む大田市は、石見部に入り、大山隠岐国立公園の一翼を担う風光明媚な山陰の中央部に位置している。
 また、石見は石東とも呼ばれるが、そのいわれは遠く戦国時代に遡ると言われている。
大田市は、若干のんびりとした気質の人々が住む、人口およそ三万六千人ほどの小さな市だが、ここもまた出雲と同じように数多くの歴史が息づき消え去った町でもある。
出雲大社に引けを取らないほどの知名度を持つ大森銀山(石見銀山)も、ここ大田市にある。余談だが、時代劇ドラマや小説の中に登場する猛毒の“石見銀山猫いらず(ねずみとり)”は、この地で採れる銅の精錬の過程で採取された亜ヒ酸の事である。
並木は木暮の声を聞きながら、小豆原埋没林のことを頭の片隅に描いていた。言うまでもなく埋没林とは、縄文時代に繁茂していた巨木スギのことである。
現在では、女性的な山として家族連れや年配の登山者に愛される山陰の名峰三瓶山と連なる山々は、深い谷を形成した。急峻な谷のいたるところにスギは生え成長した。
だが、今から今からおよそ三千五百年前に、直径ニメートル、樹高四十メールもの巨木の繁茂する三瓶の峡谷は、突然の噴火による火砕流と火山灰に飲み込まれた。 三瓶山の大噴火であった。
だが、希とも言える幸運に恵まれた巨木の森の一部は、すさまじい火砕流からかろうじてのがれ、三千五百年の長きに渡り数十メートルもの堆積物に覆われた。そしてその眠りから目覚め、平成の時代にその姿を現した。
並木は、今回話題となった新発見ー平安時代後半に使用されたと考えられる大規模な柱。これは出雲大社の本殿に用いられた棟持柱と推定されるという。と、埋没林について思いをめぐらしていたのだ。
 発見された柱は、古今の歴史家が注目し研究した、「金輪御造営差図」に見られた三本の柱を鉄の輪で束ねたもので、まさに資料の正しさを証明していたからである。
金輪御造営差図とは、日本最古の様式の神社建築物である出雲大社を造る柱の構造を記したものだ。それによると、最古の社殿の高さは約九十二メートルもあり、その後、何らかの理由から約四十八メートルになったと伝えられる。
並木は、小暮に若干悔しそうに応えた。
「いや。行ってみたいんだが時間がなくてね。つい二日前にも出雲大社で現地説明会があったが、それも行けなかったよ。なんでも柱はスギの木らしい。それも君が知っている三瓶の埋没林くらいの太さらしいよ!」
「そうか! お前さんも知っているように工藤君がそっち方面にやたらと詳しくてな。いろいろと説明してくれたが、まさに驚きだな」
 工藤は並木も親しい。木暮の部下の刑事だ。
「ああ。それに、室町時代のものと思われる柱の材料や、古墳時代の炉の跡や溝も確認されたらしい。工藤さんにも、一度出雲に来るように言ってくれ」
二人の会話は二、三十分ほども続いたようだった。久しぶりだった事もあったが、木暮は警察官という職業柄、何にでも関心と興味を示す男だったし、それに輪を掛けたほど、並木も好奇心は旺盛であったからだ。
並木は、「地上にロマン。地下に真実だよ」と、笑いながら友からの電話をおいた。
新聞記事紙面は、同じ新聞社が発行する社説や総合、政治、国際、スポーツなどは全国ほとんど共通だが、各地方地方の話題を取り上げる三面記事には大きな隔たりがある。そうしたことからみても、この片田舎の出来事が、全国紙のトップ記事として扱われたことは、地方の事件としては異例ともいえた。
新聞といえば、並木の研究室を一歩出れば書庫がある。そこには過去一年分の各紙がきちんと整理され、研究所の所員の必要に応じて閲覧される。
もちろん並木の勤務する研究所は、火山や地質の研究が主な業務で、それに関連する記事はすべて受け付けの松橋由香が別にスクラップ・ブックとして処理してくれている。
並木は、勤務する国立地質研究所で購入している新聞五紙にはすべて目を通すのが常であったが、十日ほど前に地元紙に掲載されたある小さな記事のことは、その優秀な脳裏にも刻み込まれてはいなかった。
その記事とは…。
『流れ着く漂着死体…軍服を着た男性遺体に地元町民困惑』
これが、並木と小暮が久しぶりの交流を重ねた日の十日前の地元・山陰新聞の見出しで、続いて短い本記が付けられていた。
『二十一日午後二時ごろ、大社町の海岸に白骨化した遺体が漂着しているのを貝殻拾いの地元少年が発見。今年、三度目の軍服を着用した漂着遺体で、警察では過去に漂着した遺体との関連を調査中』。 
しかし、もし並木がその小さな出来事を記憶していたとしても、いま二人の間でその話題が交わされることはなかったであろう。
なぜなら、掲載されたような出来事は、海岸線が全国でも有数の長さを持つ島根県ではよく耳にしたし、全国の歴史家以外にも興味をわきたたせるであろう話題をさしおいて話したり、久々の交流の一時を妨げるほどの重大事とは思えなかったからだ。
 だが、久々のやりとりと近況と話し終えた二人の関知しないある場所で、およそ想像もできない無惨で身の毛もよだつ凄惨な事件が発生していたのである。それが、並木の脳裏に記憶されなかったこの小さな記事であり、やがては並木とその友人・警部小暮が知り得るすべての知識で挑まなければならない難事件のわずかなヒントでもあったのだ。しかし、今の二人はそのことを知るはずがなかった。

 午後の勤務に就いた並木に、山路が笑顔で訊いた。
「並木主任。明日は奥さん同伴で板尾ですか?」
「うん。行ってみるよ。どうも気になるし、納得がいかないからね。それにあそこは今が季節的にいちばん綺麗だからね。お恥ずかしい限りだが、たまの家庭サービスを兼ねてだけれどね」
『双眼実体顕微鏡』から眼を離した並木が山路に同じように笑顔で返した。
山路は、今年の春に研究所に採用になった職員で、並木と同じ大学の理学部出身だ。いわば真の後輩である。
ついふた月ほど前まで、並木眞吾は勤務する地質研究所で、ある調査に主眼をおいていた。しかしながら、中国地方全域というなにぶん広範囲な面積の調査のため一人では思うような活動が出来ず頭を抱えていた。が、山路が助手となってからは、従来の倍ほどもの研究成果をあげることができていた。
彼の勤務する地質研究所は、中国・四国管内で唯一の火山や地質に関する調査・研究のための国立の機関である。
もちろん、火山立国であるこの国に住む日本人にとって、火山は地震と同じほどの怖ろしさを持つ。だが並木は、悠久の昔から火山とともに暮らし、ある意味ではその恩恵をも受ける生き方には、民族的で割り切った思いがあるのかも知れないと思っている。
いかにも日本的で優美な姿で世界に誇れる富士山にしても、世界一のカルデラを持つ阿蘇山にしても、巨大な山体を形成したのは群発する地震の後の大規模な噴火であったはずだ。過去幾度となく降り注いだであろう、天地を焦がす岩石混じりの炎と噴煙は開発途上の田畑を埋め尽くし、農民の血と汗の結晶である農作物と住まいをも完膚無きまでに破壊し尽くしたに違いない。
だが、その天災をもたらした朝日に輝く雄大な山容は、古くから誰にでも畏怖を覚えさせ、信仰の対象ともなった。それは、人々の理解を超えた出来事だったからであろう。
 そして、再び平穏な時を迎えると、わき出る清水や温泉などが被害民に多大な貢献をした。しかし、現在はこのような悠長なことを言ってはおられない。
開発が、山裾まで進む今、そこに暮らす多くの人々の尊い生命と貴重な財産をいち早く保護しなければならないのだ。
並木たちは、そのための情報を得るために、三瓶山の山麓に立つ研究所で日夜研究を続けているのだった。
かつて火山の定義は、活火山・休火山・死火山の三種類に分けられていたが、最近では二つに分けられている。
活火山と、たんに火山である。活火山は過去一万年以降に噴火した形跡がある山をいい、そうでないものが死火山である。
この定義から見ると、言うまでもなく三瓶山も活火山だ。
地質研究所は、いまだ火山ガスと温泉がわき出る山すそに建てられており、いわばこの上もない立地条件かも知れない。
そんなわけで、友人である木暮にいわせると、
「おい、並木。三瓶山は大丈夫だろうな。妙な動きがあったらすぐに逃げろよ」と、深刻な顔つきと声を出すのが常であった。
だが、並木が、
「気になるし、納得がいかない」と言った板尾とは、研究所から十五キロほど離れた遺跡名のことで、木暮が心配する火山活動のことではない。
板尾は、かつて三瓶火山が幾度かもたらした大規模な火砕流と、火山灰に覆われた。この遺跡は、正式には板尾第五遺跡といい、縄文時代早期から江戸時代までの雑多な人工物が発見された遺構名である。
 地理的にはそれでなくとも山また山の島根県にあって、その発掘された場所は、まさに奥山の感がある静かな谷間だ。
この地で出土した石器や土器類の調査は、市の教育委員会に設置してある埋蔵文化財調査センターと、国立地質研究所の並木と山路が中心だった。
発掘は一年前にすでに完了し、元通りに埋め戻されてはいたが、並木は時折り現場に足を運んでいた。

並木が一年後の今も疑問を抱く、ある出来事が起った日は、発掘調査を開始してわずか五日目のことだった。周囲の広葉樹林も川面も辺り一面が濃い霧に包まれた若干肌寒さを覚える十月始めで、並木と発掘総括責任者の向居満が、グリットと呼ばれる穴の中にいる時だった。
「向居先生! ちょっと来て下さい」
しゃがんだり立ったりと、さまざまな姿勢で地面に向き合っている五人ほどのアルバイト学生の一人が、向居満を呼んだ。
向居は埋蔵物文化財センターの大御所的存在で本職は医師だが、監察医も兼ねている古人類学者でもある。県内外の遺跡の調査・発掘には欠かせない人物だ。
「どうしたね?」
向居は、並木と顔を見合わせると、穏やかな顔と同じ柔和な声を十数メートルほど離れた場所であげた。
「はい。石器のようですが、どうも妙なんです」
並木と向居は、「妙だ」との声で、アルバイト学生に近づいた。
すでに三、四人が発声人の学生を囲んでなにやら話し込んでいる。
「あ、先生これなんですが…どうも妙なんです…」
学生は真っ黒な泥の中から顔を出している一個の石片を指で指し示し、再び同じ言葉を呟いた。
この遺跡が発見された経緯は、急峻で迫り来るような山地を分けるかのように流れる神戸川にもうけられる、ダム工事のための現地調査で明らかにされたのだった。もちろん、川岸の河岸段丘に驚くほどの埋蔵物を抱いた遺跡が眠っているとは、誰も思ってもいなかった。
 調査の結果、厚さおよそ十メートルの堆積物の中から、前述したようにおよそ一万年の間、この地で暮らし続けた各時代の人々の生活痕が現れたのである。
積み重なる火山灰は完璧に近い層序をなし、上部から丁寧にはぎ取られた地層とその中に含まれる遺物は、実にさまざまな事実と憶測を並木や調査に携わる人々に与えてくれた。
ここで発掘された石器のおよそ九割は、安山岩製もしくはサヌカイト製の石器で、残る一割が黒曜石製だった。
規則正しく積み重なる四枚の黒色土と、その間に挟み込まれた過去一万年の間に舞積もった火山灰の年代は、並木によって正確に決定された。
だが、一つだけ全員に解せない問題があった。
各地層から出土した遺物は、すべて計測され写真が撮られた。さらに年代別に丁寧に分けられたが、アルバイト学生が見つけた一つの石片だけは、出土した層年代の他の石器とは明らかに異なっていたのである。
並木が山路に、
「行ってみるよ。どうも気になるし、納得がいかないからね」
と、答えたのは、この石器に関してのことだった。
その石器は天然ガラスー黒曜石で、およそこの地域では見かけることの全くない、形をしていた。良く知られた、有舌尖頭器によく似ていたのだ。
有舌尖頭器とは、今からおよそ一万三千年〜一万六千年前の旧石器時代後期に使用された、槍の穂先として絶大な威力を発揮した武器だ。そして、過去の出土は、京阪神以北に限られていた。
その上、さらに妙だったのは、発見した学生が呟いたように出土した地層は表層面よりわずか六十センチほど下の第二黒色土(埋没土壌)だった。
表土である第一黒色土の真下にある火山灰の年代は、三千五百年前と並木は測定している。数日前に木暮と交わした会話にあった、縄文杉を襲った火砕流の時代なのだ。
有舌尖頭器は、この火砕流の時代を遥かに遡る時代の石器で、つじつまが全く合わなかった。専門家揃いの発掘である。普通なら徹底的な調査・検証がなされるはずであったろう。
だが、そうはならなかった。なぜなら、幅二センチ、長さは五センチほどの鋭利な石器の先端の一部が欠けた上に、途中から折れており、その全体像が掴めなかったからだったし、時代も大幅に異なっていたからだ。
 さらに有舌尖頭器が従来に発見された土地とはあまりにもかけ離れた場所で、いわば突拍子もない出土品と言えたのだ。
だめ押しは、向居満の「この地層からは考えにくいね」
との言葉で、その石器に関するそれ以上の留意はなされなかった事も否めない。
 もちろん、並木とて同じ考えであったはずだ。どうやら、縄文スギと出雲大社の柱を関連づけるような訳にはいかないようだ。
遺物の多くは、これ以上は無理だと思えるほどに破損し、一個の土器を復元するのでさえ容易なことではない。一万点にも上る各種の遺物の整理に全員が追われる日々が続いているのだ。
それ故、出所不明・意味不明とも思える黒曜石のかけらだけに特別に時間を割くわけにはいかなかった。また、ダム工事着工の期日も迫っていた、というのが本音でもあったようだ。
並木でさえ、復元に精をだすアルバイト学生に、
「まるでジグゾーパズルのようだね」と、気の毒そうに何度か言ってもいた。
 発掘には、多くの研究者も加わっている。だが、アルバイト学生までもがひたむきに泥と埃に奮闘している毎日だ。
 そんな中で、石器時代の遺物である尖頭器にこだわり、功を焦れば恥をかきかねない。そうした空気が、全体を占めたのも当然と言えば当然だったのだろう。
遺跡や地質の調査は、根気と我慢が肝要と言えるが、まさに並木の言葉がぴったりと来る地道なものである。
しかし、こうした毎日の中でも、並木だけは、なぜかこの石器に興味をそそられ、「先生。これを預からせていただけませんか?」
と、発掘責任者・向居に許しを請い手元に大切に保管していた。そして並木は、本来の仕事の合間に、鏃を始めとする石器の研究に取り組み始めた。
 以上が、とりわけ並木が関心をもった一年前の出来事である。

 山路に話したように、二週間ほど前に、並木は妻の志帆に一つの約束をしていた。板尾遺跡に誘うつもりだったのだ。これは研究の一環だけではなく、久しぶりの家庭サービスの意味もあった。
日頃は、研究に継ぐ研究で、二人で外出することがほとんどない。遺跡は、自宅から車でほんの15分ほどの場所にあるから、散歩がてらと言うようなものだったが、久々の余暇に妻を現地に伴おうと考えていたのだ。
六月のこの時期、遺構があった河岸段丘を埋め尽くすポピーが花盛りなのだ。
やがてはダムの底に沈む地を記憶にとどめる気持ちで、地元住民が植えたものだ。
ポピーはケシ科の花で、別名を虞美人草とも言う。赤やピンク、黄などの美しい色合いの少し大きめな花弁を付ける花だ。もちろん麻薬を抽出するケシの花とは違うが、人を引きつける魅力は同じかも知れない。
この時期の日曜日は、花畑に変わった段丘沿いの道路に他県ナンバーの車両や、花に囲まれて記念撮影をしている家族ずれの姿も多い。
志帆を花盛りの遺跡に案内したいのは、理由がある。もちろん花もさることながら、妻が女性としては珍しく(?)人一倍考古学に関して興味を持っていたからだ。
 実は、志帆は、生まれも育ちも横浜だが、彼女の母親は北海道の白滝という人口わずか千五百名ほどの小さな山間の町の出身だ。
彼女の話によると小・中学生の頃、今でも健在の祖父母のもとに夏休みは必ず遊びに行っていたとのことだった。
並木は、そのことを知った時、(なるほど、それなら無理もない)と、妻に見られないように微笑んだものだった。
というのは、白滝は並木のような地質学者や考古学者なら誰でも知っているほどの有名な地名だったからだ。
志帆は、梅雨時になるとよく北海道の話を並木にした。
もちろん、嫁いだこの島根県や三瓶がいやで言うのではない。
「北海道は梅雨がなくて、今時は最高よ! ねえ、あなた。来年はぜひ時間を作って行きましょうよ。私も白滝に行ってみたいし、あなただって黒曜石の露頭(崖)がみたいでしょう? それに私も、久見の黒曜石と比べてみたいと以前から思っているの!」
「そうだね。君が生まれた北海道の黒曜石と、僕が生まれた島根の黒曜石を会わせてもいいね」
「そうでしょ! 相性はどうかしら?」
微笑みながらおうじる夫に、妻も同じように微笑んで応えた。
二人の会話にあるように、白滝は北海道紋別郡にある黒曜石の産地である。それも世界一の質と量と言っても過言ではないだろう。
一方、久見は島根県の日本海に浮かぶ隠岐島にある産地だ。
だから、二人の間で黒曜石の話題がこうした形で談笑されるのはもっともだったろう。
また、並木は今回携わった『板尾第五遺跡ー地質調査報告』を半年がかりでやっとまとめ終えていた。そして、以前から興味を持っていた黒曜石製石器を介して、縄文人の足取りを想像し、両者の関係の推定をするつもりでいた。黒曜石の原産地が分かれば、互いの産地を結ぶ交流が分かるからだ。
そのために並木は、問題の板尾出土黒曜石を向居教授に同定依頼をしていた。向居教授は、医師であるとともに古人類学の権威でもある。石器や土器にも精通した山陰でも有数の逸材なのだ。
そして、昨日に向井から並木の下に届けられた結果、なんとそれは白滝産であった。志帆の興味を引くのは当然だった。
今回の板尾第五遺跡で出土した数十の黒曜石の産地は、並木と関係者の想像通り、その多くが隠岐産で、わずかながら大分県・姫島を原産地としたものも混入してはいた。ただし、一個を除いてはである。それが、志帆の知る白滝産黒曜石らしかったのだ。
遥かな昔、人類はきわめて簡単な道具しか持ち合わせなかった。(もちろんそれは、あくまでも現在と比べてのことではあるが)
だが、それでも当時としては、生きるうえで十分であっただろうし、けっして粗末な道具だと笑うことなどはできない。
なぜならそうした道具を使用する期間は、我々が自慢する現代文明が、わずか数千年であるのに比べてはるかに長く、数十万年も続いたからである。
そして、その中で黒曜石は万能であった。肉を切り、皮をなめし、生活のすべてに真価を発揮した。まさに、現代のダイヤモンドほどの、いやそれに勝るほどの価値があったのではないだろうか。
 研究所から戻ると、妻は嬉しそうだ。遺跡を見渡す河岸段丘を取り囲むように咲き乱れる虞美人草と、北海道の黒曜石の埋まっていた遺跡を想像しているのだ。
 その夜の二人の会話は、花を含む遺跡に始終した。
「志帆、君はどう思う? 板尾は地理的に見るとどちらかというと日本海寄りだ。八千年ほど前だが、隠岐とは交流があったことがはっきりしたようだ」
「ええ。私もそう思っていたわ。でもそれと同じほど九州や瀬戸内との関係が深かったみたいね…」
「それどころか、鏃を除くと石斧やスクレーパーなどはサヌカイト製がほとんどだ。これはどう考えても四国や岡山、それに九州との関係も無視できないようだね」
「サヌカイトは、四国の香川県でしか採れないんでしょ」
「うん。讃岐だけだね」
「それと、あなたのお持ちの本に、帝釈観音堂遺跡について書いてあったけど、いかにも説得力があるように感じるわ」
「ああ。あれかい? 氷河期の瀬戸内海は、草原や所々に湿地が広がる動物や原人たちの楽園のようだったのかも知れないね。帝釈観音堂人は二万年ほど前の旧石器人で、板尾遺跡に住んでいた人たちとは違うけれど、著者が提起するように、氷河期の終わりとともに進入してきた海水で、現在のような瀬戸内海が生まれ、帝釈峡などに逃れて生活した彼らの技術などが板尾にも案外伝わったりしたかもね」
「それはそうと、ねえ、あなた。あなたがいちばん不審に思っていらっしゃるのは、この有舌尖頭器と呼ばれるものなんでしょ?」
志帆は、向居満から送り届けられた話題の主をそっと手にとって、夫を見た。
 並木は、テーブルの上に広げられた数枚の用紙を丁寧に見ている。
「この石器について先生は?」、志帆は、夫の表情がいつもとは違うのに不審を抱いてその手元を覗き込んだ。
報告書の内容が気に掛かったのだ。
「うむ。驚いたよ。先生のお考えでは、やはり白滝の物のようだね。ひょっとすると“花十勝”かも知れない。それと、どうやら有舌尖頭器に間違いないと書いておられる」
「そうなの。それに花十勝?」
並木は妻の手から美しい石を受けとると、それに応えた。
「うん。この三瓶で、まさか白滝とはね…。君も知っているように“花十勝”は、他の産地のものとは違って、酸化鉄が赤い縞模様になっていてとても綺麗だ。ちょうどこれがそうだ。このような模様が入ったものは、外国ではマホガニー・オブシディアンと言うんだがね」
たしかに、並木と妻が見つめる真っ黒な石器には、槍先と思われる先端部からは幾筋かの赤い模様が走り、ちょうど花ビラがちりばめられたように見えた。
「とても綺麗ね。私も小さいときは良く似たものを時折り眼にしたけど、お嫁に来た島根で会えるとは夢にも思わなかったわ!」
我が国で黒曜石や安山岩などで作られた石器が一躍脚光を浴びたのは、ある理由がある。わずか数十年までは、我が国には旧石器時代は存在しないとの説が優勢というより常識であった。
そのために、考古学者たちは遺跡発掘をしていても、一万年前の地層にぶち当たると、それ以上は掘り進むことをしなかった。
だが、この常識を覆したのは、その道の専門家たちではなく、驚くことに群馬県で行商をしていた一人の青年だった。青年はいわば、並み居る専門家が否定する中で二十世紀最大の発見といわれるツターンカーメン王墓を探し当てた、並木の敬愛するハワード・カーターの日本版である。
彼は好きが高じて、暇さえあれば一人で遺跡を探し求めていた。
そして昭和二十四年、関東ローム層の切り通しで、紛れもなく人の手によるものと思われる一個の石器を発見した。それがいわゆる、岩宿で生きた旧石器人の遺物であった。
その後、日本の旧石器時代の研究は一挙に進み、その時代にはすでに日本と遠く離れたシベリアや中国、あるいは韓国とも文化的な交流があったことまでもが知られるようになってきたのである。
その交流を解明するのに大きな貢献をしたのが花十勝であり、並木とその妻・志帆の目の前にある一個の石器を形作る黒曜石であった。
「ねえ、眞吾さん。たしか、サハリンで見つかった旧石器もこの花十勝で造られていたんでしょう?」
「そう。樺太のソコル遺跡で黒曜石の石器が発見された時は、誰もそれが北海道、それも白滝のものとは想像すらしなかったと思うよ。それにソコル遺跡だけでなく、さらに北のイムチン遺跡で見つかった黒曜石も白滝産だよ。年代はだいたい一万五、六千年前のはずだ」
「誰も考えもしなかった時代に、すでに外国との行き来があったわけね…」
志帆も、ある程度は黒曜石についての知識は持っていたが、今その仲間とも言える石器のかけらを目の前にして、なにやら感慨深いものを持ったようである。
「最近は理化学的な分析法も発達して、どこの産地のものかが正確に分かるようになってきたから、今後はますます黒曜石の伝播が明かされるんじゃないかな」
「この石器も分析で?」
並木は、首を横に振った。
「いや、年代測定と産地同定をしていただいたんだが、いずれもはっきりしないようだ。だから視認で、白滝の可能性が大としか言えないようだね」
志帆が感じた、並木が不審を覚えるものとは、この産地判定のことだった。
「どういうことなの?」
「うん。僕が不思議に思うのは、どうして白滝産の黒曜石が一つだけあるのかということと、もう一つは飛跡だ。ウランの飛跡がないんだよ」
「ウラン?」、志帆がオウム返しに訊いた。
「すこし専門的になるけれど、こうした鉱物のことを調べるには何通りかの方法があるんだが…」
並木はそう言い置いて、書斎から一冊の本を持ち出して来るとテーブルに置いた。
表紙には、『黒曜石の蛍光X線分析とフィッション・トラック年代法』と書かれている分厚い本だ。
「これは向居先生の?」、志帆が著者名を見て微笑んで訊いた。
 表題の下には、なるほど今回の発掘責任者である向居満の名が見て取れたからだ。
「うん。僕の愛読書の一つだよ。黒曜石を研究するほとんどの研究者には、現在のところこれはバイブルみたいなものだよ」
並木は、本の中程を開いた。すでに何かを調べたのだろう。そのページには付箋が付けられていた。
志帆は、テーブルを挟んで向かい合っていた身体を並木の横に移した。
「ここのところを見てごらん」
並木は五、六枚の黒曜石の写真と文字を指でさし示した。その箇所は、黒曜石の産地の決定方法についての記述がなされているようだ。
「ここに書かれてあるのは、さっき言ったように地球上に存在する天然鉱物・天然ガラスそれに人工ガラスには、不純物としてほんの微量のウランを含んでいるんだ。数ppmだけどね。このウランが核分裂を起こすと、ウランを含有していた鉱物の中に飛跡を残す。いわば傷だね。これがフィッション・トラックだ。フィッションは“核分裂”、トラックは“傷跡”という意味だよ」
「私、ウランや核分裂なんて聞くと、原爆や原子炉のような怖ろしいイメージしか持っていなかったわ…」
「そうだね。ウランと聞くと放射能を出すものって思うからね。でも百万分率の値だからまったく心配はいらないよ」
志帆は科学者の妻として、夫の仕事に関してある程度の話題についてはいけたが、あくまでも素人だ。心配するのも頷ける。
並木は、微笑みながら続けた。
「黒曜石が誕生した時から飛跡は生成し始めるから、年代が経てば経つほどその数は多くなることは分かるだろ? もちろん顕微鏡で調べるんだけど。例えば白滝産黒曜石の飛跡の数を調べておけば、その数と一致する飛跡をもつものは同じ年代のものだし、その産地も同じだよ」
「でも、どうしてこの石器は産地が分析では出来なかったのかしら? 飛跡は必ずできるんでしょ? ウランの飛跡がなかったとおっしゃつたけど、どういう意味なの?」
「たぶん…熱が加えられたようだね。黒曜石の場合は、熱が加えられると飛跡は消失するんだよ。ようするにリセットされる訳だね」
「そうすると…、産地も年代も分からなくなる訳ね? でも、この黒曜石はそんな風には見えないけれど…とても綺麗だし。それにこれも石でしょうから、熱せられれば割れたりひびがはいったりしないのかしら?」
「うん。黒曜石は、ある温度までは大丈夫だね。それに、産地ごとでその温度も違っている。いずれにしろ、見た目には花十勝のようだけどね」
並木はそのあと、蛍光X線分析での年代測定方法についての説明を妻に聞かせた。
しかし、向居教授の手紙で知らされた(花十勝のようだ)との説明は、並木の視認とおなじであったが、それはあくまでも推測の域を出るものではなかった。
世界中を探せばこの美しい花十勝と同じ模様をもつ黒曜石もあるかも知れない。それに、まだこの石器の物理的性質ーいわば比重・屈折率・化学成分ーは測定はされていなかったからだった。
向居教授からの手紙には、遺跡発掘時のお礼と、その後の石器と土器の研究調査報告、そしてこの黒曜石の年代と確実な産地同定が出来なかった詫びと近況が末尾に書かれていた。
「なんでも、先生は海外出張でしばらくはアメリカだそうだ。客員教授として招かれたらしい。お忙しい方だから、本業が大変だろうね」
「きっと、素晴らしい先生なんでしょうね」
志帆は一度も向居とは会ったことはなかったが、話題の主に関した噂は夫の口から時折聞いていて、そのような仕事仲間を持つ夫を嬉しく、また頼もしくさえ思うのが常だった。
並木は、近い内に向居教授を訪ね、目の前の有舌尖頭器と考えられる石器について改めて議論をしたいと考えていたが、それはしばらく先のことになりそうだ。
並木は、本を閉じると出窓に近づき、カーテンを開けると三瓶の夜空を仰いだ。
並木の耳に、「さっきはとても星が綺麗だったから、明日は晴れよ!」と、寝室に向かう志帆の嬉しそうな声が届いた。
だが、「ん? …そうだね…晴れるといいね」
と呟く、並木の目に映った夜空は、志帆の言葉に反して星一つない真っ暗な闇であった。
小説「黒い宝石」
この続きは、第二章です。
ペンション モンテ・ローザに戻る
第2章へ
南家明の小説コーナー