第三章
新たな疑惑
木暮から、上原の拘留の知らせを受けた翌日。
十月二十一日付けの朝刊には、並木の知りたい二つの記事が掲載されていた。
一つは、事件発生以来、毎日報道される「首なし、猟奇事件」の報であり、またもう一つは、昨夜ニュースで知った東京都下・立川市での殺人事件の報である。
並木の住む三瓶で発生した猟奇事件は、各社のトップニュースとさえ思える扱いであった。たとえ、多くの観光客が訪れる国立公園であろうとも、普段はやはり山深い静かな土地である。
地元住民の心配はあまりあるほどで、
「時折出没する熊とは訳が違う」
「早く犯人を逮捕してくれんと、夜もおちおち寝ておれんぞ」
「子供は、集団下校をさせにゃ」
「警察も一生懸命で、駐在さんも毎日ご苦労なこって」、などと、大変な騒動と心配事が地元民を巻き込んでいた。
朝刊を一通り目を通した並木は、大きくため息をついて新聞を伏せた。
出勤時間でもあったが、二つの事件とも、とても並木の欲求を満たすものではなく、ことさらに松田誠一の名前だけが大きく掲載されていたのである。反対に、立川で起きた事件は三面記事の小さなものだった。
並木は午後、広島に行くことに決めていた。もちろん研究所の仕事も山ほどあるのは承知の上だったが、いてもたってもおられないのも事実だったのだ。
この頃、東京では、捜査本部が置かれた立川署により、犠牲者の全体像と殺害方法が割れていた。
最初、国道二十号線を横切るように流れる多摩川で発見された遺体は、目撃者の証言により、橋から転落した際に出来た頭部の傷が致命傷と見られた。
他に、むき出しの手の傷と、衣類下に若干の傷が見られたが、橋から落ちた際に出来た創傷であり、それ以外には不振な点はなく泥酔の上の不幸な事故として処理されると見られたのであった。
目撃者の話では、十月二十日の深夜に事件(この時点では事故と思われた)は起こったという。
日中は行き交う車で混雑する多摩大橋も、深夜十二時ともなるとさすがに通行量もまばらになる時刻である。
この橋は、東京の郊外、立川市と日野市を分けるように流れる多摩川に架かる橋で、往来の激しい車を避けるための歩道が設置されている。
日中は自転車で通学する中・高校生や勤め人が主に利用する歩道だが、夜は終電に乗り遅れた両市の勤め人や、イヌを散歩させる近所の住民が利用する。
転落を目撃した若い山路夫婦も、毎夜のイヌの散歩に出かけていた。
そんな折の事である。
「あなた…大丈夫かしら? あの人だいぶ酔っているようだけど」、妻の声で夫の山路も足を止めた。
橋の中程で、十メートル置きに設置された街灯が、ほのかに低い欄干を照らし出していたが、その欄干に一人の男が寄りかかっていたのだ。
すっかり泥酔しているようで、足下にも衣類にも嘔吐した汚物をまき散らしている。
「危ないな! あんなところで。車も通るし、欄干も工事中だ。落ちたら大変なのに」
「警察を呼んであげましょうよ…」
二人が心配したのはもっともである。男が寄りかかる欄干に防護柵はあったが、欄干全体をカバーしていた訳ではなく、一部は背の低い物で、大人の腰ほどの高さしかない。それに不用意にもたれかかれば川に転落する恐れがあるように見えたからだ。
妻の言葉を聞き入れ、夫が引き返そうと踵を返したその直後であった。
男の身体がぐらっと横に動いたかと思うと、欄干から突然、姿が消えた。転落したのである。
「キャー、あなた…」
二人の話を裏付けるのは簡単であった。
山路夫婦以外にも数人の目撃者がいたからである。山路夫婦と同じように犬の散歩に出ていた近所の住民である。
そして、通報により橋の数百メートル下流で発見された男のポケットにあった運転免許証から、容易に身元が判明した。
男の名は、高須博司。年齢四十一才の食品販売会社勤務の男で、住所は橋を隔てた日野市であった。
この泥酔によると見られた転落事故が、殺人事件へと急展開したのは、警察の遺体安置所に駆けつけた高須の妻の一言からであった。変わり果てた夫の遺体にすがりつく妻の口から漏れた悲しみの言葉が、その場を立ち去ろうとした警察官の耳に不審を持たせた。
妻は、「お金などいらなかったのに…、こんな事になるなんて…」と、泣き叫んでいたからである。
司法解剖の結果、被害者・高須博司の体内より、数個のアミノ酸からなる環状ペプチドーファロトキシンとアマトキシンが検出された。
これらはアマニタトキシン類と総称され、ある種のキノコが持つ猛毒であった。五十グラムのキノコで六・五グラムの毒を持ち、かりに六十キロの体重の人間であれば、ただの一本のキノコでその命を奪う事が出来るのである。
友人・上原のことを、捜査一課で人知れず悩み心労のきわみである木暮は、その知らせを受けたとき、戦慄を覚えずにはいられなかった。
なぜならその毒は、三年前、木暮によって解決した東北での殺人事件に使用された、自然界にあってフグ毒以上に強い猛毒を持つドクツルタケの毒素だったからである。
木暮に協力の依頼が来たのは、過去に同じ毒を使用した難事件を解決した経験と実績が見込まれたのは言うまでもない。
監察医の意見では、毒は用意周到に準備され、アルコールと共に体内に入ってからおよそ四時間ほどと見られていた。
これは、高須の当日の足取りから割り出された時間である。
だが、高須の元気な姿が目撃された午後九時頃からの彼の足取りと、居酒屋で同席していた人物は、闇の中に消えていた。
そして、捜査の過程のある時期、木暮は重大な疑惑に気がついたのであったが、それはやがて、フィリピン・東京・広島・鳥取、そして並木の住む島根県をもつなぐ見えない人間の怖ろしい策謀に行き着く事を意味したのであった。
だが、それを、今は木暮を始めだれ一人として知り得るはずもなかった。
木暮からの連絡はあれ以来なかった。しかし並木は、木暮と上原を誰よりも理解し、信頼もしていた。
並木は、“人の縁 ”とか“絆”とか言う言葉が無性に好きであった。この地球上には六十億もの人間が住み、日本には一億人を越える人々がいる。
そして、その中で妻・志帆と巡り会い結婚した。
また、木暮と上原にも知り合い、かけがえのない友として現在までつき合ってきたのである。
そんな友人に、警察の取り調べ室という冷たい牢獄で面会した並木は、広島県警の玄関を出ようとしていた。
その足取りは棒のように重だるく、まるで鉛か鉄の足かせをされているように並木は感じていた。
友人・上原誠一は、ミランダ殺害の重要参考人から、すでに容疑者になっており、拘留も延びていた。
殺人の濃厚な容疑と、逃亡及び証拠隠滅の恐れがあるとの判断がなされたのである。
それに引き替えすでにミランダの遺体発見から九日が経っていたが、並木も木暮も、上原のために何の手だても出来てはいないのだ。
ただ、並木に出来ることは、今までいた広島県警と捜査本部が設置された、地元・大田警察署に足を運ぶことだけであった。
紅葉の原生林で発見された身元不明の惨殺体は、発見後即、島根県警察本部科学捜査研究所の法医科員が動員されて島根県医科大法医学教室でただちに司法解剖がなされていた。
その結果、頭部は失われているものの、絞殺による窒息死で殺害後頭部を切断。死後、およそ一ヶ月が経過。血液型はA型。十七〜二十五才くらいのアジア人で、日本人又は、韓国・台湾・中国・フィリピンをも含む地域の女性と考えられた。
主としてなされたのは、人類学的生体計測、産婦人科的考察、そして指紋であった。
もちろん腐乱が進んだうえに、一部が白骨化したむき出した指の指紋採集は困難ではあったが、指と手の長さが西洋人よりも東洋人の同じくらいの年齢の女性により近く、僅かに認められた指紋の形状も同じであった。そして、中絶の経験が認められた。
以上の結果、家出人・失踪人などの照合により、フィリピン人・ミランダと断定され、広島県警は、ミランダ失踪時に彼女の住むマンション近くでその日は広島にいなかったはずの上原誠一を見たとの目撃者情報と、彼が落とした物的証拠である一冊の手帳、そして、もっとも重大な事実から上原誠一を容疑者として拘留したのである。
それは、誰の目から見ても、
「なるほどあり得る」
と、思えさすほどの事実であり、動機としても十分と考えられたのだ。
さらにミランダ失踪時の上原のアリバイは、何一つなかった。
並木が面会を求めた担当刑事の態度と言葉から、(明らかに上原が被疑者)との心証を得なければならなかったことは、無念以外の何ものでもなかった。
その後数日を経て、遺体発見現場である三瓶を管轄する島根県警と大田署が、早々に捜査本部を解散し、すべてが広島県警にゆだねられたこともそれを実証していた。
並木は、先ほど会った上原とのやりとりを思い出していた。
「なあ、上原。君を陥れるような人間に心当たりはないのか! 僕が会ったあの刑事さんは、つまり木暮の同期生らしいが…、彼の話では、君にはアリバイが全くないと言っていたが、どうなんだ! その日はどこにいたんだ」
「君にまでこんな迷惑をかけて…すまない。だが、信じてくれ。僕が話していることに嘘は一つもない!」
「もちろん僕たちは君を信じている。だがな、上原。接見の弁護士さんにも聞いたんだが、当日…ミランダが失踪した日だ。君がマンション近くの公衆から電話をかけているのを見られているし、その後も、君の車がミランダのマンションの前に止まっているのを彼女の仲間が見ている。もちろんマンションは君の住んでいる所だし、いても当然だろうが、その日は君は広島にはいなかったことになっている。それに電話は、失踪の直前だ。その後にマンションに行くことも十分に可能なんだよ。さらにまずいことに、電話を終えて出てきた君が手帳を落としたことだ。これだけの証拠を覆すには、これが誰かによって仕組まれたものだと証明する反証がいる」
「何度も言うように、車も電話もすべてでたらめだ! するなら携帯電話でする! どうして公衆など使う! 手帳もなくした物だ!」
上原は吐き捨てるように言ったが、警察はあくまでも手帳を重視していた。これらの証拠を提示した目撃者や証言者を疑う理由など何もなかったからだ。
「それが本当だと僕も信じたいさ…」
並木はそう言ってしばらく黙り込んでいたが、言いずらそうに再び口を開いた。
「もう一度聞くが、電話ボックスで君を見たとの女子高校生の証言はどうなるんだ。その時間は真っ昼間だ。その子が君を見間違えたのか? 証言は全部嘘だと言うのか? そこからマンションまで一、二分だ。なぜそんな所にいたんだ。それと…、それとミランダの体内からは血液型がB型の体液が検出されたと聞いた」
並木には、今までで一番つらい質問であったかも知れない。だが、今はそんなことにかまってはおられなかった。
「僕じゃない! たしかに僕もB型だ。だが同じ血液型の男は腐るほどいる!」
上原の叫ぶような声は、半ば泣き声に近かった。もちろん上原にしても、並木の気持ちは分かっていたはずだった。
問いつめる並木とて、泣きたいほどの悔しさで訊いたのだ。
面会の時間が終わった。
「分かった…また来る。頑張れよ!」
並木は、この言葉だけを残して警察を後にしなければならなかった。
警察を出た足で並木が向かったのは、八丁堀近くの上原のマンションである。
ミランダ殺害の重要参考人と知らされこの前ここを訪ねた時、並木は上原の妻・麗子に、
「大丈夫ですよ。すぐに無罪放免ですよ」と簡単に答えていた。
当然、上原の人となりを知る並木が、このような展開になるなど夢にも思わなかったのは無理はないのだろうが。
広い通りに面した十階建てのマンションの一階と二階が会社事務所として使用され、三階部分が上原の住居とミランダたちに与えられた個室が並んでいる。
四階以上は分譲マンションとして数十組の家族が入居しているが、最近建てられたものでもあり、外観も中の作りもちょうど豪華なホテルといった建物だ。
一階正面に、上品な書体と色で松田興業と書かれた看板が取り付けられているが、分譲マンションの体裁を損なう物ではない。
並木は、一階フロアー中央のフロントの女性に軽く頭を下げると、階段を早足に上がった。松田誠一と書かれた表札の下のチャイムを数度か押したが、連絡をせずに来たためか不在とみえ、並木は仕方なく再び一階のフロントに足を運んだ。
上原不在の会社は、入院中の麗子の父に代わって、専務の向居が取り仕切っていると聞いて面会を申し込んだが、生憎、その向居も外出中であった。
しかし、驚くことに受付嬢は、名刺を差し出した並木のことをよく知っていて、思いがけずあることを手配してくれたのだった。
「ミランダのチームリーダーにお会いになりますか?」
「ええ。是非。私からお願いしたいと思っていたんですよ!」
事件のかけらも感じさせない表情の社員の願ってもない親切に、並木は深々と頭を下げた。社員教育も徹底しているのだろう。
こうしたことから見ても、上原の人望の厚さが感じられ、疲れきった並木の心に多少の余裕が生まれたようであった。
「あ。ラナ? お客様があなたにお会いしたいそうよ。すぐにそちらに行っていただくわね」
並木は、彼女に再び頭を下げると、階段を三階にと上がった。
ラナたちは、ミランダが欠けた現在もクラブ・シャトーラに毎晩のように出演していたが、ラナは出勤までには十分な間があるとみえ、廊下の突き当たりにあるこぢんまりとした接客コーナーで待っていた。
南向きの窓辺に置かれた明るいコーナーである。
ラナは、接客コーナーにある大きめの窓から外を見ていたが、並木の近づく気配に気がつき振り返った。
身体にぴたっとフィットした黒いスラックスと紺色のセーター。そして真っ黒な長い髪がよく似合う美しい娘である。
概してフィリピンの女性はスタイルがいいと、だいぶ前に上原が自慢していたが、なるほどその通りである。もちろんダンサーだから、スタイルはいいのは当然だろうが…。
だが、その整った容姿のラナは、並木の顔を注視しこそしたが、笑うことがないかのように冷たく見えた。むしろ、睨み付けるといった方が的確だったかも知れない。そんな表情である。
並木は、一瞬(あれ? 顔に似合わず無愛想な娘だな)と思いはしたが、ラナにしてみれば、会ってやるだけましだと考えていたのだった。
しかし、ラナが並木に示した態度の理由はすぐに分かることになる。
並木が、英語で「私は、松田(上原)誠一の友人で並木眞吾と言います」と自己紹介したとたん、ラナの表情が一変し、満面笑顔で早口の英語で返したのだ。
「え? あなたがミスター・並木! 社長からあなたのお噂は常々聞いていました。私たちもあなたにお会いしたかったのですが、その機会がありませんでした」
「そうですか。私はまた、突然連絡もせずに来たのでご迷惑かと思っていました」、並木は、先ほどのラナの様子を思い出してそれとなく訊ねた。
「じつは…また警察の人かと思ったもので。すみませんでした。いやな女とおおもいになられたのではないのですか?」
ラナは恥ずかしそうにそう言うと、先ほどの自分の非礼を詫びた。
言葉遣いも率直さも、並木に好感を与えた丁寧な娘は、身体全体に喜びを顕わして、改めて自己紹介をした。
お互いが誤解していたのである。
「先ほど松田に会ってきたんですが、警察がなんと言おうと、私は彼の無実を信じているんです。ですが、警察が言うように松田にはアリバイがありませんし、おまけにあなた達の証言した車の件もあり、非常に不利な立場に立たされていることも事実です。しかし、考えれば考えるほど出来過ぎのような気がして、どこかに見落としている事があるのでは、と思うのですよ」
「出来過ぎ…ですか…」、ラナは、並木の言葉から何かを求めるような表情で言った。
そして、ラナのその大きな瞳から、涙が盛り上がるのを並木は見た。
ラナは、しばらく無言でいたが、
「私たちの証言で社長が追い込まれたことは、悔やんでも悔やみ切れません。でも、社長の車があったことを隠せばなおさら不利になると考えたんです。ミスター・並木、あんな素晴らしい方が人を、ましてやミランダを殺すなんて、そんな…そんなはずがありません。神に誓ってそう言えます!」
「くどいようですが、あなた達の見た車はまちがいなく松田の車だったのですね? これはとても重要なことなんです」
「ええ。刑事さんにも何度も聞かれましたが、間違いはありません。見たのは私と同室のラトーニャです。私も彼女も社長の車はよく知っていますし、この道路脇に止まっていました」
ラナはそう言うと窓辺に寄ってその場所を指さした。並木の見下ろした街路樹の傍に二台の車が目に入った。
「そうですか…、間違いないのですか…」、並木も返す言葉がなかった。
三階からだが、確かに知った車なら見誤ることはないようである。
「ええ。残念ですが…間違いありません。社長は、所用などで忙しくて駐車場に入れない時は、いつも同じ場所に止めていましたから」
ラナはそう答えると、がっくりと肩を落とした。
だが、並木はその言葉に大きく目を見開いて言った。
「ラナさん、待って下さい! いま、いつもと同じ場所と言いましたね! と言うことは、ナンバーを見たわけではないのですか! ナンバー! ナンバーです!」
並木の声は驚くほど大きかった。日本語混じりの問いは、まるでラナを叱りつけているような大声である。並木がこのような声を出すのは珍しい。
「? ええ…。同じ車がいつものように同じ場所に止まっていますから当然…」
「社長の車だと思った! いや思いこんだ!」
「ミスター・並木! まさか私たちは!」
ラナの顔は、死人を見たように真っ青である。
「ええ。どうもそう考えた方がよさそうですね! たしか、その日は土曜日でここも休みだった。それに車を見たのはあなた達二人だけだ! ありがとう、何とかなるかも知れません。でも、絶対にこのことは他言しないでいて下さい!」
並木は、事の重大さに気がついたラナのすがるような視線と言葉を背中に受けて、足早にマンションを後にした。
並木は、三瓶に戻ると東京に連絡するつもりであった。
そしてその夕暮れ、東京で奔走する木暮も同じように並木に連絡を入れようとしていた。
「おい! 並木」で始まる電話は、まるで並木の帰宅を見計らってかけられたようだった。
そして、挨拶抜きの上に一方的に喋っている。それにこの前消え入りそうにして切った声とは違って、いつもの大きなだみ声だった。
「妙な事になったぞ! ひょっとしたらひょっとする」
「木暮、君か。よかった。僕も話したいことがあったんだよ!」
「お前さんもか? とにかく俺は明日そっちに行く。話はその時だ」と、これもまた一方的に切れてしまった。
「そそっかしい男だな」、相手のいない受話器を並木は見ながら呟いたが、友人のいつもの声で、なにかが上原に有利に進展していると感じて電話をおろした。
翌日。
島根県の東部に位置する宍道湖畔に面した出雲空港に、羽田からの一番機で降り立った木暮は、日本海に沿うように走る国道九号線を西に向かっていた。
この国道は、山陰を東西に結ぶ大動脈である。
日中は割合と空いてはいるが、夜ともなると各地から目的地に向かう大型トラックの疾走する高速道路の体をもよおす。
そんな国道を走る木暮の乗る車は、白塗りの乗用車で、見た目にはごく普通のセダンであるが、フロントパネルの下には無線機が装備され、ダッシュボードの中には赤いランプが入っている。さらに、運転しているのは木暮も初対面の男である。
この車両は、俗に言われる覆面パトロール・カーなのだ。
もちろん木暮は警察官だ。警察官が警察の車に乗るのは、本来なら不思議でも何でもない。
だが、東京や警察学校の同期生の塚本がいる広島なら分かるが、ここは島根県である。
ミランダの事件では、すでに島根県警は関知していなかったはずである。
が、なぜその島根県警の覆面パトロールカーに乗っているのかというと、理由は二人の会話ではっきりする。
「木暮警部。殺された高須は、おっしゃるようにたしかに出雲に来ていました。空港でレンタカーを借りたことも分かっていますし、走った距離も判明しています。出雲〜広島間の往復にぴったりでしたよ」
「やはりそうですか」
「ええ。二百四十キロです。もっとも、六十キロほどは、どこかを走り回ったようですが。殺された高須は、出雲からもっとも便利な五十四号線を往復したんでしょうね」
「そして、空港のレンタカーを借りた日がミランダが失踪する前日、八月三十一日だった」
「ええ。その通りです」
木暮に応えるのは、大田警察署の野上という捜査一課の刑事である。
野上は昨日、島根県警本部からの突然の要請で(警視庁から県警に捜査協力と依頼があったのである)出雲空港に急遽足を運んだのであった。
三瓶で起きた事件が一段落して、これといって凶悪な事件もない平和な署に舞い込んだ依頼とは、島根から一千キロも離れた東京の立川市で起きた、例の殺人事件に端を発する思いもしないものであった。
そして野上刑事は、先程来の話にあるように、木暮の期待に応える働きをし、早朝の空港で木暮と落ち合ったのである。
木暮は、野上の言葉に頷くと、国道の下に広がる水平線まで見渡せる静かな日本海も目に入らないかのように、じっと前方を見据えて何事かを整理しているようであった。
小一時間後、車は大田市の山間部に入り、前方に三瓶の象徴である三つの山が見え始めていた。
数週間ぶりの研究所である。
車から降りた木暮の目に、三瓶の空は吉報を待つかのように晴れ渡り、受付でも、すでに顔なじみの奈保子が木暮を笑顔で迎えてくれた。
木暮は、並木の紹介で、先回は会えなかった研究所の責任者である所長に挨拶を済ませたが、所長は穏やかな人物で、部下の並木が拘留中の松田(上原)誠一の立場を我がことのように苦悩し、奔走するのを温かい目で見てくれていた。
お互いの紹介が終わると、
「遠路ご苦労様です。並木の事は頼みます」と、所長は隣に立つ並木の肩を軽く叩き、木暮と野上に頭を下げて退出した。
木暮は所長の態度に、ななかの人格者と好感を持った。
本来なら、直接に関係がなくとも、このような事件の渦中にいる人物に関わる並木を自重させたり、その行動を糾弾したはずだったろう。
「よく来てくれたね。実は大変な事が分かってね。上原のマンション前に止まっていたのは、彼の車じゃないようなんだ!」、並木は、ラナとの会話の一部始終を話し始めた。
二人の刑事は顔を見合わせ、(やはりな)といった顔つきで同時に頷き、今度は木暮が膝を進めて話し始めた。
「じつはな、俺たちもその線が濃厚と考えている。多摩川で殺された高須が広島に来たと思われるんだよ。高須の身辺を洗った折、三次市にある喫茶店のマッチが見つかった。彼は三次市に来ていたと思われる。三次市に来たんなら広島市内に行ったと考えても差し支えないだろう。距離的にもすぐだ。まだマッチ以外には高須が来た確証は掴んではいないが、だが、まずまちがいないだろう。彼が借りたレンタカーは、上原の車と色も年式も全く同じだった。ナンバーさえ見られていなければ、同じ車と思うだろうな」
「なるほど…三階のラナが見たのは車の斜め上からだからね」
並木も、ラナを訊ねた折、応接の窓から路上を覗き、車の位置を想像したのを思い出して言った。
「たぶん、高須か、または共犯者がいるとすれば、どちらかがミランダを待ち受けていたと考えて差し支えないと思うがな」
「だろうね。しかし、上原が関係ないとすると、高校生が見たとの証言はどう説明する?僕にはそのことがね…」
首を傾げる並木に木暮が答えた。
「目撃者は女子高校生だから、証言能力は当然あるが、公衆電話から出てきた男は手袋をし、夏でもないのにサングラスをしていた。もちろん上原もするそうだが、手袋はしたことがないそうだ。手帳をわざわざ目立つように落としたは、あくまで上原と思わせるために違いない。それに、高須は以前は役者の端くれだ。そんな男なら、かりに上原を一度くらいしか見たことのない人間なら簡単にだませると思わないか?」
「しかし、広島県警でもそんなことは調べ済みだろう?」
「当然調べたはずだ。だがな…あくまでもその男が上原だとの前提にたっての調べなら話は違ってくる」
「しかし…」と、納得できないように言う並木に、木暮は続けた。
「車と同じで、上原の身代わりがいたらすんなりと解決するよ。本題はこれからだ」
「手帳か?」
「そうだ! 手帳は本物だ。高須がどうしてその手帳を手に入れたかだ」
「…」
「何者かが、いや高須を殺害した犯人がいつ渡したかだよ」
「上原は、市内で紛失したのでは、と言っているが…」
「うん。ミランダが失踪する十日ほど前らしい。八月二十日に上原は大阪に出張に行っているが、出かけてからしばらくして紛失に気がついたと言っている。だから、その手帳を東京の高須が持っていたこと事態が謎なんだよ。先ほど言ったように、高須が広島に来たと考えられるのは失踪の前日だ。その日に手帳を手に入れたとは俺たちも考えてはいない。じつは、彼は殺される当日の夜に一人の男と会っている。いま、突き止めなければならないのはその男なんだよ。我々は、その男が手帳を高須に渡したと考えているが、それがいったい誰なのか、だ」
「ところで、その高須という男がこの事件に関係あると考えたのはなぜなんだ?」
「死因だよ」
「死因?」
「そうだ。ドクツルタケの毒だ! 正直言ってたまげたよ」
木暮は、並木たちの協力で解決したかつての事件を思い起こすように言った。
「ドクツルタケ? あの三年前の事件で使用されたドクツルタケか!」
「奇妙な事だがな…」
そしてその顔は、(お前は殺害の方法をどう考える?)と、謎をかけているような表情でもあった。
当初、木暮は都下・立川市で起きた殺人事件が、遠く離れた島根の殺人事件と関連があるとは考えもつかなかった。
被害者・高須博司の出身は東京の荻窪で、経歴は、都内の私立大学で演劇を専攻したあと、小さな芸能プロダクションを経て、現在は食品販売会社に勤務。同僚の話では、勤務態度も真面目で、人とのトラブルなどもない、いたって平凡な男とのことであった。
殺害時も顧客との商談があると言い残して会社を出ていた。捜査の常道で、木暮は、高須の客筋や交友関係を徹底的に洗い聞き込んだが、そこからはいまだになんの手がかりも掴めてはいない。
高須の暮らしは決して楽なものではなかったが、人に恨みを買う人間でもなく、怨恨の線も除外されるかのようにみえた。が、今、捜査本部の見方は、死亡時の状況から単なる物取りや通り魔的なものではなく、やはり怨恨または、なにかの取引上での殺害との意見が大勢を占めていた。
その最大の理由は、
「お金などいらなかったのに」との妻の言葉である。
捜査は難航を極めていた。だが、足を棒にするほどに都内を歩き回る木暮には、ある事実が脳裏を離れることがなかったのだった。
それは、猛毒アマニタトキシンの使用である。毒を混入されたのは、殺害当日であった。
この猛毒は、青酸カリと違い、一般には六時間から十時間を経て体内、とくに肝臓・心臓を犯し、コレラ状の症状を呈して死に至るものである。
ただし、今回の場合はアルコールと共に摂取したことにより、より短時間に症状が現れたと考えられた。
殺害を画策した数時間後に目的を果たせる恐るべき方法は、現場にいない犯人にとっては完全なアリバイを持つ残忍な方法である。
時間差を巧みに利用するのだ。
木暮は、会社帰りのサラリーマンで賑わう立川市内の居酒屋の一角で、いまだに姿の見えない男が高須と店員の目を盗んで猛毒を酒に混入する、悪夢のような状況を目に浮かべていた。
「たしかに、君が言うように演劇などをしていた男なら、目撃者に上原だと思いこます事が出来るだろうし、手帳は本物だ。それにドクツルタケ…。それにしても、ミランダ、上原、それに高須を結ぶ男とは一体…」
並木はじっと何事かを考えていたが、
「まてよ…」と言って席を立った。
そして、
「犯人は上原をよく知り、さらに彼の近くにいる人物ということですか?」と、野上に向かって訊いた。
「…ええ。もちろん推測の域は出ないのですが、私も木暮警部から殺害方法を伺ったとき、過去に協力していただいたあなた方のお名前が不思議と頭に浮かびました。高須殺害犯は、誰かに三年前の事件を聞いたか、調べたのではないかと思われます」
「俺が高須の行動を調べるにあたって、それが一番気になってな。だからひょっとして、と考えたことがこれだよ」
木暮は、広島空港や広島駅、そしてそれと同じように出雲にも手を回したのだった。
これこそ、長年に渡り刑事畑を歩んできた木暮の感であった。
沈黙が三人を包み込んだが、再び木暮が口を開いた。
「上原も、もちろんあの事件は知っていた」
「しかし、君が言うようにあの事件をヒントにして殺害を実行したとしても、なぜミランダや高須が殺されなきゃならない」
「そこなんだが…、犯人は同じくらいの年格好の娘ばかりの中でミランダを殺(や)っている。彼女は日本人とは仕事以外には接触がないのだがな」
「なあ木暮。本当に犯人は、ミランダが目当てだったんだろうか?」
「そこなんだが、まだ何とも言えないようだな。単に彼女が犠牲者として選ばれたと考える事も出来る」
「ミランダを殺害し、その罪を上原になすりつける。それが誰の得になるのか…、と言うことか」
「ま、いずれにしてもドクツルタケの毒で殺された高須が、ミランダの失踪に一役買っているのはまちがいないはずだ」
木暮は愛用のジッポーを取り出すとタバコに火を付け、大きく吸い込んだ。
野上が吐き出された煙を目で追って続けた。
「広島県警は、上原さんとミランダの関係を怪しんでいるようですね」
「二人の関係を? どういうことですか!」
並木は、野上の意外な言葉に驚いて訊いた。
「俺から話そう。俺が、上原とシャトーラに行ったのは知っているだろう? たしかに全員が粒ぞろいで、銀座辺りでもやって行けるだろうと思えるほどだった。その中で、ひときわ際だつたのがミランダだったらしい。お前さんも知っての通り、上原は昔フィリピンにいた。そのあたりのことから県警は、ミランダが日本に来る以前から上原となんらかの関係があるのでは、と疑いを抱いたらしい。もちろん現在の二人なら、男と女の関係も考えられない訳じゃないが、なにぶん上原が日本に帰ったときのミランダの年齢は七〜八歳くらいのものだ。だから、俺には考えられない。それに、二人が最初に出会ったのもオーデションの時だからな。それと、不思議なのは、彼女の仲間が東京や大阪に行きたがっていたのに、ミランダだけは広島に固執した事実だ」
「広島に?」
「ああ。それが、県警が上原とミランダの関係を疑った最大の理由らしい」
「そうすると県警は、あくまでもミランダと上原には仕事上以外の接点があり、その上の殺人と考えているんだね?」
「そうなるな…高須を利用してな。それから外事課を通して始めて知ったんだが、上原にはスーザンという恋人がいたらしい」
「ほーう。初耳だね」
「ああ。おれも知らなかった。しかしその女は、上原が帰国する数年前に死亡している。二十歳だったそうだ」
「そうか…病気か?」
「いや。自殺だそうだ」
「自殺? 上原もいろんな事があったんだな…」
「ああ。楽しい話じゃないからな。あいつも言いたくないことだってあるだろう。彼女の母親もその後を追うように亡くなっている」
「そうなのか…上原も決して平穏なだけではなかったようだね」
「…」、木暮は、無言で頷き続けた。
「それと、例の感熱紙に残っていた文字だが、今もって分かっていない。上原に訊いても何も知らないの一点張りだ。フィリピン警察の協力で得た情報でも、現時点ではミランダと上原の関係はなにも見あたらない。正直言ってまいっている」
大田署の野上の前で、事もあろうに身内びいきと取れる本音が漏れた。
「木暮警部、広島県警は、他に何を掴んでいるんでしょうか?」
野上のこの言葉は、お互いの情報がすべて交換されてはいないことを如実に示していた。
もちろん、木暮と広島県警、そして大田署が反目しあっているわけではないが、小暮と野上でさえ関知できない何かがあるようであった。
「広島県警が言うように、上原にアリバイがないのは事実のようです。彼の言い分は、『ミランダが失踪した前日の夕方、高速を利用しないで姫路に向かったが、途中気分が悪くなって道路脇の空き地で休んでいた。そしてそのまま眠ってしまい、急を知らせる携帯電話で目が覚めた』。などと警察に通用するはずのない事を言い張っていますからね」
「不利になるのは、目に見えているのですがね…」、野上は、上原が二人の友人だと知っているためか気を使っているようだ。
「それに、その場所も暗くて覚えていないなどと、俺は上原が何を考えているのか理解できないよ! 誰でもそんな奴の言うことを疑うのは当たり前だ!」
並木に向かってそう告げる木暮の顔はこわばり、今にもテーブルを叩きそうな剣幕だった。
並木とて同じような気持ちでいたのは言うまでもない。が、彼は木暮よりも、若干冷静であった。
「ミランダが消えたのは九月一日。たしか上原も、同じその日にどこかに行っている。だが、電話と手帳が仕組まれたものなら、なぜそんな不審に取られるアリバイに固執するんだろう? 実際にミランダの失踪に無関係なら、それが上原にとってどんな意味があるんだろうね…」
並木の言葉は、重要な意味を持つはずだが、この場の三人にもそれがなぜなのかは分からないのだ。
木暮と野上も顔を見合わせて黙りこくったままだ。
そんな中、受付の奈保子から内線が入った。
「君にだ」
「ん? そうか。こんな時に、誰だ?」
木暮は間の抜けたような返事を返して、窓際の電話に出た。
「おお。工藤君か。どうしたね?」
相手は、東京にいる木暮の部下の工藤刑事だった。
「…、…、……」
「何! もう一度言ってくれ!」
促した木暮の声が応接室に響き、その声は信じられないことを聞いたようにうわずっていた。
さらに何事かを告げる相手に、
「まさか!」と鋭く一言呟くと、乱暴ともみえる置き方で電話を切った。
そして、放心したかのように、
「そんな馬鹿な!」と言った口と手が震えていた。
「どうした! 何かあったのか?」
木暮の様子は尋常ではなかった。驚いて訊く並木に、木暮は小さな声でこう答えた。
「高須と上原は知り合いだよ…それも相当に親しいな…」と。
「何だって!」
木暮の言葉は、並木の脳天を叩き割るようなショッキングなものだった。
「木暮警部! それは、本庁の調べなんですか!」、野上の表情と口調から、明らかな不信感が読みとれた。
「ええ…そうです…」
野上に応える木暮の声は、並木が今まで一度も聞いたことがないほど苦渋に満ちていた。
「どういう事なんだ!」、並木は詰め寄るように木暮に訊いた。
「山だよ!」
「山?」
「そうだ! 山だ。上原は趣味でよく山に行っていただろう。高須もそうだということだ。上原が“コマ草会”という同好会に入っていたのは俺も知っていたが、高須もそこに入っていたんだよ。その上に山行きはよく行動を共にしたらしい。高須の奥さんが遺品の整理をしていて、出てきた写真を見て、『主人は山が好きでこの人たちとよく出かけていたんですよ』と言ったのを、昨日、訪ねていた俺の部下が聞いたんだ。写真を見せて貰うと、どの写真にも高須と一緒に、ある男が写っていたんだよ」
「それが上原なのか!」
「うん…。写真は二十数年も前のものばかりだったらしく、顔つきは感じが違っているようだが間違いはない。写真の裏の名前は、上原誠一とあったそうだ」
「木暮警部! 高須は殺される一週間前にも知り合いに会うと妻に話して二日ほどどこかに出かけていることが判明していますし、上原さんも同じ日に出かけています!」
大田署の野上刑事は、木暮と並木の友人を、さん付けで言ったが、その語調と目は射るように鋭かった。
野上の顔と声には、“もう、色眼鏡で上原誠一を見るな!”との意味が込められていたに違いない。
もちろんそれは、二人にもよく分かっていた。
並木は、いても立ってもいられない、目眩に似たものを感じていた。
言うまでもなく木暮も同じであったろう。
三羽がらすの一人である殺人容疑者・上原に噴出した新たな事実は、より強い嫌疑となって木暮と並木を心胆から苦しめていたのだ。
開きかけた突破口が、突然の落盤で閉ざされたかのような思いが、二人に襲いかかっていた。
野上は声にこそ出さなかったが、(上原と高須は、名古屋近辺で会ったに違いない。それに上原は山に詳しい。三年前の事件もあるし、キノコについての知識も当然あるはずだ!)と考えていたのである。
そして、野上が考えるように、高須の持ち物の中から東名・名神高速道路の領収書が見つかっていた。
神戸・西宮I・Cからの復路の日付は、ミランダ失踪の十日前の八月二十日であった。
その日は、野上が言ったように上原の出張の日でもあったのだ。
上原の身辺には、彼の不利な証拠が次々と露見した。しかし、木暮と並木の心は、堅く結ばれていた。
国立地質研究所からあわただしく立ち去る前に、木暮は並木の耳元でぼそっと囁いた。
「誰がなんと言おうと、俺は諦めんぞ」と。
松田興業社長・松田誠一は、その二日後、さらに拘留が延長された。
高須殺害の犯人像は掴めてはいなかったが、広島県警は上原の共謀者の有無を検討していた。ミランダ殺害は疑えても、上原が高須殺害の実行犯でないことは明かであったからだ。
なぜなら、高須が立川市で殺害された時、上原はすでに広島県警に拘留中であり、絶対的なアリバイがあるからである。
並木とて人間である。その心の隙間に入り込む、上原に対し覚える凍えるような不信感を払拭するのは、並大抵ではなかった。
だが並木は、木暮と同じように友を信じた。
並木は、上原の拘留延長を知った日、自宅の書斎に籠もって彼なりの推理を組み立てることに躍起になっていた。
「上原には、僕にも木暮にも知られたくない、いや、話せない何かがあるはずだ…」、呟く並木は、上原が高須と知り合った経緯や、木暮と自分の前から姿を消した二十年前からの出来事を遡ろうとしていたのである。