蘇る殺戮者
〜愛と野望のナイル
プロローグ
大地と海に雨が降り注いでは蒸発し、蒸発しては再び降り注ぐ。
この循環は、地球が誕生して以来四十数億年、なんら変わることなく続いている自然の営みである。水はこの星に生を受けたすべての生き物にとってかけがえのない命の源なのだ。
かつて暗黒大陸と恐れられたアフリカ…。その最北端、地中海を望む広大な地に人類史上最古に属する文明が誕生したのも水があればこそであった。
密林と山岳地帯がどこまでも続く大陸の奥深くから一本の紐のように横たわり流れでる総延長六千七百キロの世界最長の大河・ナイルは、その峡谷沿いに発達したオアシスと最終到達地点であるデルタ(三角州)と呼ばれる低地とに、二つ文明を誕生させた。上エジプトと下エジプトである。
やがて、いまからおよそ五千年の昔、この上下二つのエジプトは一人の王によって統一された。その王の名は上エジプトのメネス…。
王・メネスの戴く王冠は、コブラとハゲタカの紋章。ハゲワシは上エジプト、コブラは下エジプトの紋章であった。この二つを併せ持つ王冠を戴く王・メネスはまさしく全エジプトを支配した事を意味した。
彼は強大な権力を持つ、一つの国家に君臨する偉大な王であった。そして彼と同じ二重王冠を戴く彼の後継者たちは、彼以上に権力を持った。
世界七不思議の一つとしてただ一つ現存する大ピラミッドを初めとして、この地に残された数々の巨石建造物は、アラブ世界にのファラオ(王)の権力を見せつけづにはいなかった。
だが、人間の本能ともいえる飽くなき権力闘争の嵐が吹くのは、このエジプトにおいてさえも例外ではなく、エジプト最初の王朝から女王クレオパトラで知られる最期の王朝・プトレマイオス朝が滅ぶまでのおよそ五千年の間におよそ三十二もの王朝が起っては消えていった。
時は、第十二王朝の末期(紀元前千七百九十年頃)…。
遠くカナンの地に住み、馬に引かせた戦車と鋭利な石斧で怒濤のようにエジプトに押し寄せた異民族・ヒクソスは、馬を知らないエジプト軍を易々とその馬蹄で蹂躙し、ナイル河岸に広がる穀倉地帯・下エジプトをその手中にしたのである。
彼らの支配は、第十三・十四・十五・十六王朝のおよそ百五十年の長きに渡って続いた。
そしてデルタ地帯のアバァリスに本拠を置くヒクソスの王・アペピの王朝時代、テーベに僅かばかりの勢力を保っていたエジプトの豪族が第十七王朝を樹立し、その王・セクエンエンラー二世は傍若無人なヒクソスについに戦いを挑んだのである。
その戦いは壮絶かつ凄惨な戦闘であった。エジプト軍もヒクソスも多大な犠牲が強いられ、その中でセクエンエンラー二世は頭部と首筋を斧で切られ、その頬骨も無惨にうち砕かれてヒクソスの刃に倒れた。
だが、果てしない戦いは彼の二人の息子(カーメスとイアフメス)に引き継がれた。
勇猛で戦術家のカーメスは、ヒクソスの策術をものともせず果敢に戦いを挑んだのであったが、彼もまた父・セクエンエンラー二世の後を追うようにエジプトの大地に倒れ伏した。
しかし、二人の意志を受け継いだイアフメスは、やがてアバァリスの王・アペピの宮殿を陥落させ宿敵ヒクソスをエジプトから駆逐しテーベを王都と定めたのである。時は、紀元前一五六五年。これが第十八王朝の幕開けであった。
この王朝時代、エジプトは隣国・ヌビアを征服し、この地に豊富にある金を背景に空前の繁栄をエジプトにもたらしたのである。
エジプト黄金時代の始まりであった。
一説によると、金は砂漠の砂ほども有ったという。
金は錆びることもなく色あせることもない。その不滅の輝きを放つ金は、エジプトの太陽神・ラーそのものであり、その神の子・ファラオにとって富と権力の象徴でもあった。
イアフメス王から数えて十二人目のファラオ・ツタンカーメンの亡き後、一人の王妃が亡きファラオの後を追うように歴史の舞台から姿を消した。
それは今から三千三百年ほど前、紀元前一三七〇年頃のことである。
この物語は、三人の日本人と一人のエジプト人が体験した驚くべき事実…。
ー膨大な金の副葬品と共に三千三百年の眠りから覚め、そして再びナイルの川底で永遠の眠りに就いた王妃・アンケセナーメンの岩窟墓に端を発した愛と野望の物語であるー。