畳上生活ギャラリー

畳の歴史 

ルーツに探る 畳の存在価値

縄文時代 [竪穴住居]ムシロなど
縄文〜弥生時代 [高床式住居(倉庫・特別な建物)]ムシロなど
奈良時代 [御床(畳ベッド)]奈良県正倉院 現存する最古の畳
平安時代 [寝殿造り]置き畳
鎌倉〜室町時代 [書院造]敷き詰める畳の出現
桃山〜江戸時代 [茶室・数奇屋風書院造]
  畳の町人への普及・畳と布団の分化(綿の国産が本格化)
江戸中期〜明治 [一般庶民に畳が普及]
昭和 [諸工程の機械化]農村部にまで普及

 

畳がどうやって生まれたのかをお話したいと思います。

縄文時代の家屋は竪穴式住居でした。この住居の床は土です。
ここでご飯を食べたり、話をしたり、寝たりしていました。
土の上に直接座ったり寝たりするとどうでしょうか?冷たいし、硬いですよね。
ですから、マコモなどの草を並べて敷いたり、その草を編んだ莚[ムシロ]、菰[コモ]という敷物を敷いていました。

日本でお米を作るようになると、高床式の建物が現れます。さっきの家と違うのは床が地面と離れたところにあるということです。
日本は雨が多く、空気も湿っています。実はこの建物はお米などを入れる倉庫なのですが、床を地面から離す事でお米などから湿気を遠ざける仕組みになっています。
湿気が無いということは暮らすのにも快適です。そこで、村長などの権力者の住居にも高床式の建物が使われるようになります。他の人よりも高い場所に住む事で権威を表したとも考えられます。
床は木の板でできていてこのころもまだ莚をしいて寝ていました。

この暮らしに変化が現れたのは奈良時代のころだと思われます。
莚は1枚だけより重ねたほうが、温かいし、柔らかいというので、重ねて使われていたと思われます。
これでは持ち運びに不便です。そこで何枚も重ねたものを、糸で縫い、一枚の厚みを持った敷物にすることがが行われます。そして見た目や肌触りの良いイグサで編んだ莚を一番上に巻き、イ莚の回らない横側は錦を縫い付け隠しました。これが畳の始まりだと言われています。
日本に残っている一番古い畳は1200年前のベッドの畳です。(正倉院 御床[ゴショウ]の畳)

畳はベッドの敷物、つまりは寝具として登場しました。寝具といえば今では綿布団ですが、実はこの布団の祖先は畳だといわれています。
江戸時代か、その少し前ごろまでは今のような布団や座布団は無く、畳や莚が使われていました。
基本的には板の間で、座るところや寝るところにだけ畳を持ち運んで使っていました。
昔の絵を見るとよくわかります。お雛様の座っているのもこういう置き畳というスタイルのものです。
これは日本では綿がとれなかったことによります。
江戸時代ごろになって日本で本格的に綿がつくれるようになると畳と布団は分かれて畳は床全体を覆う敷物に、布団は寝たり座ったりするところに使うようになります。

ところが畳は作るのにたくさんの材料や手間がかかります。
一般庶民、とくに農村の人々は江戸時代になっても筵を敷いて寝ていたようです。

当店ができたのが大正3年、今から90年くらい前です。農村地区である当地域では、このころも畳のある家は少なかったそうです。私の曽祖父はそういった時代に畳のよさをみんなに知ってもらいたいと、畳屋をはじめてこの地区に普及させていったそうです。

近年は生活スタイルや居所家具の洋風化や、幼児期からの椅子座生活習慣、建築コスト削減、バリアフリー対策などさまざまな理由から畳の存在価値が問われる時代になっています。
しかしこのところ、どこでも横になれる、くつろげる、家族とより近い距離で過ごせる、畳の室内での希少自然素材としての価値(調湿、空気清浄、吸音)といった点が注目され、和風ブームなどもあり、畳の部屋が見直されてきています。

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