第一回「炭焼き」 三瓶山を望む山あいで、木炭を焼く光景を久しぶりに目にしました。 木炭を焼く場所は、「炭焼き小屋」と呼ばれ、今から40年ほど前まではたくさん見られました。子どもだった私も、役に立たないまでも冬休みなどは父親のあとについてよく山に入ったものです。しかし、最近ではほんの数えるほどしか見られないようです。 三瓶の場合、炭を焼く作業はほぼ一年中行われましたが、窯の中は600〜700度もの高温になり、真夏などは休む事が多かったように記憶しています。 冬などは、楽しいこともありました。窯のそばはとても暖かく、たき火をしながら餅を焼いて食べたり、まわりの草花や木の名前を覚えたりしました。ときには怖い思いもしました。特に、夜の森で鳴くフクロウの声が恐ろしかったことなどを想い出します。また、ひとつの山で仕事が終わると、次の山に移り木炭を作りました。こうしたことは、山の活性化につながったようです。 出来あがった木炭を入れものを「炭俵」と呼び、わらやカヤ(ススキ)、山で調達した木の枝などで作られていました。かりに廃棄しても、周辺に違和感を感じさせず、すぐに自然に戻っていく材質なのです。物があふれかえる現在とは比べようもないほど不便な時代のように思われますが、けっしてそうではなく、むしろ自然に優しく効率よく物を利用していたといえます。 木炭にする原材料は、主にクヌギ・カシなどが使われますが、こうした樹木の多い場所ではノウサギやキツネなどの動物をよく目にしました。きっと、豊かな自然があふれている場所なのでしょう。 (文・写真 南家 明) 当サイトの管理人です。 ![]() |