近年は暖冬と云うが、三瓶の1.2月は「本当かしら」と思うほど寒い。室内の水道でさえ凍りつき、軒下には沢山のツララがぶら下がる。小指ほ
どの大きさだったツララも成長するのがとても早い。昔風の家では、二階
部分の屋根のひさしから下がったツララが、下の屋根にくっつき、直径が
10a、長さが1bを超えることもある。文字通り氷柱だ。
 こうしたツララができると、屋外に出るとき、あるいは外から家に入る
ときは軒先を見上げる。なにせ、先端にかけて徐々に細くなり、先は鋭く
尖る凶器のようなものなのだ。寒さがゆるんだ日などは特に注意が必要だ。頻繁に軒下から離れて落下し、頭にでも落ちたら大変である。足元の雪に何本も突き刺さったものを目にすると、なにやら時代劇で、主人公が窮地に陥る「槍ぶすま」か「吊り天井」を見ているようで、ゾッとする。
 もちろんツララは怖いだけではなく、自然が作り出した芸術。陽に照ら
されて青く見えるようなときは、じっとのぞき込んだりもする。大きなツ
ララほど美しく輝いて見え、子どもの頃は、よくかけらをほおばったりした。もっとも、ほとんど味はぜず、ただ冷たくて口も手もしびれだけだったように記憶している。
実は、解けたツララに味が感じられないのは、とても大切なことのように
思える。最近のツララを口に入れると、なにやらおかしな味がするのだ。
いがらっぽいというか、えぐいというか、飲み込む気がしない。
たぶん、大気中の不純物を雪が取り込んだのだろう。残念ながら、新雪
の味でさえ同様だ。誰一人歩いた痕跡のない森林内の雪も、長く伸びたツララも、なんとなく悲しそうである。

ツララ
〜変わりつつある雪の味
前に戻る
このコラムは、三瓶フィールドミュージアムニュースに掲載されたものを
加筆・訂正したものです。
(文・写真 南家明)