タムシバ
田園に春を告げる


 私が春を感じるものは、色々ある。早春はネコヤ
ナギ、あるいは梅と鶯。ついでオキナグサやミヤ
マカタバミ。そして一番目を引かれるのが、まだ緑
薄い山を彩るタムシバだ。
ほとんどの木々たちが、まだ葉を展開しない日当
たりのいい尾根で、点々と真っ白な花の塊を目に
することがある。遠目にも興味をもてる光景だ。
タムシバは、庭などで見られるモクレンの仲間。
花は、葉が展開する前に咲き、一見すると9枚の
花びらを持つように思えるが、実際は花弁は6枚
で、3枚はがく片。
 モクレンの仲間はいずれもよく似ている。特に
ニオイコブシの名があるタムシバは、姿・形がそ
っくりなコブシとよく間違えられる。花期におけ
る両者の明らかな違いは、コブシは花のすぐ下に
一枚の葉を持つのに対し、タムシバは持たない。
さらにタムシバは、花だけでなく、枝はおろか葉ま
でもが素晴らしい芳香を放つ。葉を噛むと甘いこ
とから、別名カムシバとかサトウシバと呼ばれる
ようだ。もっとも、いつも花の美しさに目を奪わ
れて、葉を噛むことを忘れる。だから、どの程度
の甘さなのかはまだ試してはいない。
 タムシバの花期はとても短い。咲き始めたかと
思うと、ほんのわずかな期間でその姿はヤマザク
ラや他の木々たちの若葉にかき消されてしまう。
瞬く間に変わるその様子は、己の美しい姿と引き
換えに、様々な草花や若葉が野山を彩るのを誘う
春の儀式のようにも思える。
 またそれは、三瓶一帯で暮らす農家の人たちに
とってもある種の伝言。タムシバの花期が終わると、
彼女たちが見下ろしていた田んぼに水が引かれ、
三瓶一帯に本格的な春がやって来る。
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朝日新聞第2県版(加筆文)
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